『二度のお別れ』でデビューをして40年超。黒川博行が自らの作家生活を振り返ったエッセイ集『そらそうや』が話題を集めている。ここでは一部抜粋し、博打と共に歩んだ日々を辿る。(全2回の後編/前編を読む)

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「博才」とは

 その人が持って生まれた「運」というのもありますね。博打運とかギャンブル運とか言われるもの。ただ、あの人は博打運が強い、というときは単に「ツイている」というわけではなく、ツキの扱いがうまいという技術も含まれている気がします。だから、「博才」というほうが正確ですかね。才能です。僕は、この博才はある、強いと思っています。

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 思いかえせば、親父と一局二十円とか三十円とかでやってた賭け将棋が最初に覚えた博打ですが、これは運の要素は小さい。その次が花札。中学三年生くらいから定期試験前には勉強会と称して、友だちと集まり勉強せんと花札ばかりやっていた。それで、勝つんですよ。なんか知らんけど、もう連戦連勝。そこで、技術をともなう博打には僕は勝つんちゃうか、と自信を持った。そして高校生で麻雀を覚えて、大学生になったら仲間内でゲーム博打ざんまいです。麻雀はじめ、チンチロリン、丁半博打、カードゲームはブラックジャックにポーカー……とにかくゲーム博打はほとんどやりましたね。それで勝ちまくった。

 ゲーム博打は大好きです。今もそれがつづいている。

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博打をさせると、人間性が出ます

 小説のなかで博打の場面はよく書きます。博打は使い勝手がいいですね。博打をさせることで時間的経過をうまく描ける。それに博打をさせると、その人間のキャラクターが、人間性が出ますからね。こいつはせこい、こいつはしっかりしたヤツだ、とか。それに、他の作家が書く博打には「おいおい、それは嘘やろ」と思う部分がたくさんあるけど、自分はちゃんとリアリティを持たせて書けるという自信もあります。そこはさんざん博打をやってきたんが功を奏してますね。

対人の博打が好き

 要するに、対人の博打が好きなんです。相手と面と向かって勝負するのが好きだし、自分に向いている。公営ギャンブルは大学二年から就職一年目まで。四年間はほぼ毎週競馬場に行ってました。こちらはだいたい一勝九敗ペース。で、就職して最初の正月、冬のボーナス十二万円を持って淀の「金杯」に行ってすっかり溶かしてしもうて。家に帰ってよめはんに言いました、「もう僕は競馬をいっさいやめる。向いてないのがようわかった」

 と。あえて言うなら、公営ギャンブルは胴元相手の勝負で、僕が負けても相手は喜ばない。