新世界から日本橋のでんでんタウンへまわる
高校教師を辞め、作家専業になってからも新世界には年に一、二回、行った。ジャンジャン横丁で串カツを食い、フリー雀荘や将棋倶楽部に寄る。将棋倶楽部で席主に段位を告げると、適当な手合いを組んでくれる(わたしは二・五段くらい)のだが、倶楽部にたむろする連中は勝負が辛く、いつもわたしが負け越した。将棋はパソコンでもできるが、やはり人間相手のほうが愉しい。
新世界から日本橋のでんでんタウンへまわることも多かった。中古のビデオショップで一本百円の映画ビデオを買い、オーディオ専門店でアンプやスピーカーを試聴する。わたしはマニアではないから真空管アンプや大口径スピーカーの魅力は分からないが、ワンセット三百万、四百万と聞くと、音がいいような気がしてしまう。近ごろのでんでんタウンは電器店がフィギュアショップに変わり、アーケードを行き交う買物客は色白、小肥り、眼鏡にリュックの若者が増えた。日本橋がミニ秋葉原になってどないするんや、え―。
いまは観光客だらけのジャンジャン横丁
今回、このエッセイを書くために、久々に新世界へ行った。動物園前駅から地上に出て、環状線のガードをくぐる。ガード下に出店はなく、ペイントも塗り替えられてずいぶん明るくなっていた。ジャンジャン横丁はシャッターを閉じた店もあるが、人通りは多い。串カツ屋の前には行列ができていた。ガイドブックを持ったミニスカートのおねえさんと眼が合ったので愛想笑いをすると、おねえさんはすっと横を向いた。怖い顔でわるかったな、おい―。観光客だらけのジャンジャン横丁は、わたしには寂しい。
ほとんどはポルノ系のビデオショップもなくなっていた
通天閣のほうへ歩いていくと、スマートボール屋がゲームセンターに変わっていた。スマートボールは緩くてレトロで、こんなに釘曲げてたら入るわけないやろ感いっぱいだったが、やはり時代には勝てなかったようだ。ゲームセンターに入ってみたら、客はひとりしかいなかった。
ひところお世話になったビデオショップもなくなっていた。カセットのほとんどはポルノ系で、店のおやじに「あっちは?」と訊くと、「こっち」と手招きされ、陳列棚の裏からご法度の裏ビデオを出してきた。ダビング物で映像はひどかったが、千円もしなかったと思う。いまも二、三本、家にあると思うが、『花のときめき』とか『春うらら』といったきれいなタイトルなので、よめはんには見つからないだろう。