2018年以来となる全国アリーナ・ライブツアーを開催中の椎名林檎(46)。5月には5年ぶりとなるニューアルバム「放生会(ほうじょうや)」をリリースし、紅白歌合戦への出場も決めるなどますます独自の立ち位置に磨きがかかっている印象だ。
椎名は1978年生まれの埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身。先天性の病気を抱え、生後すぐ2日にわたる大手術を受けて無事回復。4歳の時からピアノを習いクラシック・バレエも始めるが、きっかけは福岡県立筑前高等学校在学中の軽音部の活動だった。
実兄はシンガーソングライターの椎名純平、伯父はイラストレーター辰巳四郎、イラストレーターの藤森玲子がいとこというアート一家の生まれで、椎名も16歳で「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に出場。17歳でソロ歌手・椎名林檎として「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」に出場し、「ここでキスして。」を歌い優秀賞を獲得した。
レコードメーカーからスカウトされ東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)と契約を結ぶ。林檎の芸名は、高校時代のバンド活動でドラム担当だったため、ビートルズのリンゴ・スターから。もうひとつ、子どもの頃は恥ずかしがり屋ですぐ頰が赤くなり林檎のようだった、というウソのような本当の由来がある。
「21歳で子どもを産み育てているときに、もう自分の人生ではなくなったと」
19歳で東芝EMIからシングル「幸福論」でプロ歌手デビュー。プライベートでも仲がいい広末涼子やともさかりえへの楽曲提供を早くから行い順風満帆なキャリアをスタートさせた。
そんなさなか、突然の結婚を発表(実際の入籍はその約1年前)。相手はギタリストで音楽プロデューサーの弥吉淳二(2018年にがんで逝去)。仕事上のパートナーをプライベートのパートナーにも選んだことになる。半年後には22歳で第一子を出産、23歳では離婚してさらに世間を驚かせた。
最初の出産の時期、椎名は音楽の封印を考えていたという。
「21歳で子どもを産み育てているときに、もう自分の人生ではなくなったと思いました。自分が親にしてもらったこと全部、いや、もっとたくさんのことを子どもに残したいと。でもなかなかその通りにできず、焦っていた。当時は仕事なんて金輪際できないと思いました」(「Wedge ONLINE」より)