本作は、17世紀初頭の神聖ローマ帝国・帝都プラハの宮廷で作られたものです。何らかの寓意が込められているようですが、研究者の間でも解釈が一定しないほど複雑な内容を表しています。そしてその難解さこそ、この時代のヨーロッパ絵画の特徴であり魅力でもあるのです。
しかし、一つ一つのモチーフの意味は、アトリビュートという各人物の象徴的な持ち物から解き明かすことができます。まず、大きく目立つ中央の人物は、その武装や胸当ての模様から女神ミネルヴァ。そして、彼女が踏みつけている仰向けの男性は、ロバの耳をしているので「無知」の擬人像と分かります。つまり、「叡智」を象徴するミネルヴァが「無知」を縛り上げ、プットという翼の生えた幼児が勝利者に与えられる月桂冠とシュロの葉を彼女にかざし、タイトルの「叡智の勝利」が表されていると読み解けます。
この版画はオリジナル作品ではなく、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の首席宮廷画家だったスプランゲル(1546-1611)の同タイトルの油絵を元に、同じく宮廷画家だったサーデレル(1570頃-1625)が版刻したものです。元絵と比較することで、筆による油絵表現を線で起こして版画にする技術の見事さが鮮明になるでしょう。
ところが、複製版画としては、女神のポーズなど、かなりの相違点があります。しかも、油絵のほうはアトリビュートが曖昧で、版画の方が明確になっているのがポイント。変更の理由は以下のように考えられます。油絵は一点もので、宮廷に出入りする教養ある人たちだけが難解さを楽しむものでした。一方、版画は普及版であり、より多くの人が理解しやすいように内容を整理したと思われるのです。
版画の方は、構図もスッキリとS字型に納められています。まず、シュロとプットが女神へと視線を集め、シンプルな背景の中で女神のポーズが縦の方向を強調し、下部の「無知」へと目を誘います。そして人物群が台座を円形に囲み、それぞれのアトリビュートを掲げているので、ぐるっと回りながら確認できる流れになっています。
手前の2人は、左が戦いの女神、右側は歴史もしくは叙事詩を司る女神で、彼女のペンが画面の枠から抜け出して、銘文を書いているところに遊び心があります。
さらに、左側には蛇がまきついた杖を持つメルクリウス神、天球儀を持つ「天文学」、楽器を持つ「音楽」。右側は絵筆が「絵画」、彫像が「彫刻」、コンパスと巻物が「建築」を意味します。このように配置することで、両者を対等に描くことには意図がありました。今でこそ絵画は優れた芸術として尊敬されていますが、西欧では長らく手仕事として天文学や音楽より低く見られていました。そのような状況下、当時のプラハでは画家の地位向上の気運が高まります。その正当な評価を叡智の勝利として祝い称える意味が、この絵には込められていたのです。
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「奇想の版画 1500―1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画」
郡山市立美術館にて12月27日まで
https://www.city.koriyama.lg.jp/site/artmuseum/125272.html