1ページ目から読む
2/7ページ目

ドアがノックされ、「入ります」という刑務官の声がした。私は「はい、どうぞ」と返答すると、立ち上がった。ドアが開く。年配の刑務官を押しのけるようにして袴田さんが入ってきた。

私の顔を見た途端、頬を緩め目尻を下げた。袴田さん特有の控えめな笑顔である。

「事務官、お元気でしたか」と先に話しかけられた。

ADVERTISEMENT

「袴田! 勝手にしゃべるな!」

刑務官が語気強く叱りつけた。私は〈まずい!〉と思った。今日の袴田さんは区長とトラブルを起こしている。気持ちが高ぶっているはずだから、その言い方では無用に刺激してしまう。私は無神経な刑務官に腹を立て、袴田さんの反応を追った。

「ン…………」袴田さんは声を抑え、くるりと体を捻り、後方の刑務官と向き合った。

あぶない! 右のストレートが刑務官の顔面を一撃する!

私は息を呑んだ。ところが思わぬことが起こった。

「すみません」と、袴田さんが刑務官に謝ったのだ。そして、「気をつけ! 礼! 番号氏名」という刑務官の号令に従った。「食事の関係があるので午後4時15分に迎えにきます」。刑務官は私に向かって敬礼をして立ち去った。

「よく我慢しましたね」。私は心底思ったことを口にした。袴田さんは、彼はいい担当でよく話を聞いてくれる人だと言った。さっきはパンチを顔面に叩きこむのではないかと思ったと言うと、袴田さんは声を出して笑った。「それをしたらボクサーじゃないです」「区長と口論したと聞いたのですが」「口論ですか⁉ そんなんじゃありません。日弁連から来た手紙の交付が遅かったので事情を聞いただけです」
「日弁連?」

日弁連が再審の支援をすると通知

「はい。おかげさまで去年の暮れに再審の支援をすると通知をいただきました。どうなるのかよくわかりませんでしたが、先月日弁連から派遣されたと、弁護士が三人来てくれて、無実を主張する理由などを聞き取ってくれました」

袴田さんは胸を張って言った。いかにも誇らしいという明るい表情である。間違いなく日弁連とのつながりが生じたことによって、袴田さんは拘置所にとって煙たい存在になったのだ。