――onodelaさんは度々ネットニュースになっているから、ご両親も気づいているのでは?
onodela どうでしょう……。両親は絶対に芸能ニュースとかを見ないタイプなんですよね。だからいまのところ何も言われていないし、私が自分から伝えることもないかなと。
アイドル脱退→DJ活動→シアトル留学…“事件後”の歩み
――あの事件が起きて、2019年7月にアイドルを辞めるんですよね。
onodela そうです。大学2年のときですね。そこから少しDJとして活動して、2019年9月から1年間、交換留学生としてシアトルに留学しました。
――先ほど「国際分野に強いから早稲田大学を選んだ」とおっしゃっていましたが、もともと海外に興味があった?
onodela 留学したいとは思っていました。でも、海外で活躍したいとまでは思ってなくて。当時は、ただ視野を広げたいと思ってシアトルに行ったんです。
――シアトルに行って、考え方は変わりましたか?
onodela 実際に住んでみて「海外はいいなあ」と思いました。それで、もう少し海外というか、アメリカに滞在したいと思うようになって。結果的に大学を卒業したあと、UCバークレーに行くことになるのですが。
――交換留学が充実していたのですね。
onodela 環境に恵まれて、しんどいと思うことはなかったですね。もちろん異文化での生活で壁にぶつかることもありましたけど、すぐに解決できて。毎日が楽しかったです。
それに、英語が上達した達成感もありました。それまでは、授業で習う英語しかできなかったけど、1年間シアトルで暮らしたら、24時間英語で生活できるようになって。帰国してからTOEFLを受けたら、1年で90点から110点台まで成績が上がっていました。
金融業界のトップ4を目指して就職活動をしていた時期も
――すごい、TOEFLは120点満点ですよね。
onodela 日本人で118点を取っている方も結構いるので、そこまですごくはないのですが。自分なりには頑張りました。
――シアトルから帰国したあとは、アメリカの大学院進学を目指して勉強を?
onodela アメリカの大学院に進みたいと思っていたのですが、日本で就職したい会社もあったんです。だから、大学3年のときは勉強と並行して、就活もしていました。
――どんな会社を受けていたのですか。
onodela JPモルガン、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、あとはバンク・オブ・アメリカ。いわゆる金融業界のトップ4です。そこを目指して就活したのですが、どこも受かりませんでした。
〈つづく〉