シーズンごとに発売されるJRの特別企画乗車券・青春18きっぷ。その使用ルールがこの冬から大きく変更されることになった。それに大きな影響を受けるのが、各地の「往年の鉄道名所」である。
青春18きっぷの登場から40年以上がたち、日本の鉄道環境は大きく変化。この冬も、「列車のご利用が極めて少ない」として、12月1日から全ての列車が通過することになった駅がある。福島から山形県の間を結ぶ奥羽本線の大沢駅だ。
かつては峠の急勾配を非常に珍しい4連続スイッチバックで越える路線として知られたものの、近年は近隣駅も廃止になった。そんな「定番秘境駅」として知られた山深い駅を、『日本鉄道廃線史 消えた鉄路の跡を行く』などで知られる小牟田哲彦氏が訪ねた。
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4両編成だが旅客が乗れるのは前の2両だけ。理由は…
11月のある晴れた平日の朝7時過ぎ、福島駅を出発した奥羽本線の米沢行き普通列車には28人の乗客が座っていた。
4両編成だが、旅客が乗れるのは前2両だけ。車輪が踏みつぶした落ち葉の油分や、寒暖差が大きい秋の朝に発生する線路上の霜によって車輪が空転するのを防ぐため、列車の駆動力を高める目的で10月末から11月末までの1ヵ月間に限り増結しているのだ。
それほどまでに山間部の落ち葉が多く、標高が高い区間は明け方に冷え込み、そして車輪が空転して電車が前進できなくなるほどの急勾配なのである。
2つ先の庭坂を出ると、人家が次第に車窓から姿を消し、紅葉に彩られた板谷峠の急坂を上り始める。7時28分、前方の坂道を軽快に駆け下りてきた東京行きの山形新幹線「つばさ122号」とすれ違う。お互い、今日のこの区間の1番列車だが、今のところは複線の線路上を落ち葉が覆っているような場所はない。
7時33分、列車の右手後方に、大きな口を開けた廃トンネルがほんの一瞬だけ視界に入った。そのトンネル跡から本線上まで続く平坦な高台に、平成2(1990)年まではスイッチバック式の赤岩駅があった。
最初の旧スイッチバック駅周辺、今はクマの生息地帯に
板谷峠の4連続スイッチバックの中で唯一福島県側にあった赤岩駅は、スイッチバックの解消後、駅周辺の過疎化の進行が著しく周辺住民の利用者がほとんどないとして、平成24(2012)年から積雪期の4ヵ月間は全列車が通過する措置が採られた。
その約4年後に通年休業駅へと移行し、正式廃止はさらにその4年後。地元の利用客がほとんどいないとされる小さな無人駅でも、明治時代から続く駅としての長い歴史を終わらせるにはそれなりの段階と時間がかけられている。
スイッチバック廃止後は本線上に設けられていた短い旅客ホームも撤去されていて、今はかろうじて、ホームがあったと思われる場所にその痕跡が見られるだけになっている。
赤岩駅跡へ通じる未舗装の山道の周辺はクマの生息地帯とも言われていて、斜面の狭い難路を自動車で進むのも、冬眠前のクマにおびえながら歩くのも、なかなか勇気がいる。あの高台の草叢の中に眠るスイッチバック時代の駅の遺構とその奥に放置されているトンネル跡へと近づくのは、これからも年を追うごとに困難になっていくように思われる。