四国少年院へ
鑑別所では危機感なんてまるでなくて、自由はないけど暇だな、なんて思ってたの。教官の人も少年院ほどきつくなかったし。でもある日家庭裁判所に連れて行かれて、親とか学校の先生も来ている中、「四国少年院へ」って言われて、「え…。ウソでしょ。帰れないんだ…」って絶望って感じで大泣きしたわ。ちなみに親友は自宅へ帰されていたわね。その後すぐ車でお迎えが来て、速攻で少年院へ。着いた瞬間に髪は坊主にされるの。その時、13歳か14歳になったぐらいだったわ。
だから本当に激動って言葉が合ってるわよね。中学に入っていじめられて、グレて捕まって少年院で2年間、自分と向き合わされる。もう嫌でも大人になるしかないのよ。
ヮタクシが少年院の中でどんな生活を送っていたたのかも、手短にお話するわね。
少年院には単独寮っていう、独房みたいなところと、集団で生活して自律した行動を学んでいく集団寮っていうのがあるの。ヮタクシは四国少年院に入ったんだけど、最初の10日間くらいは単独寮で過ごすのよ。0.5畳くらいしかない、本当に狭い部屋に閉じ込められて、トイレも丸見えの状況でひたすら内省させられるの。内省っていうのは、反省文を書いたり、自分の幼少期からのことや親への気持ちを思い返したり、被害者への思いを紙に綴ったりするの。ヮタクシの時は運動すらさせてもらえなかったから、ラジオ体操を部屋の中でするだけだったわ。
外の世界への憧れ
そのあと集団寮に移動になるんだけど、教官たちが、いくつかある寮のうちどこの寮に入れるかを決めるの。ヮタクシは希望(のぞみ)寮っていうところに配属が決まって、担当がT先生という方だったわ。
1つの寮にはだいたい20数人くらいいるんだけど、居室(きょしつ)っていう部屋が7部屋か8部屋ぐらいあって、1つの部屋には4人まで入れたの。単独寮から移ったからって大幅に環境が良くなるわけじゃなくて、部屋もそんなに大きくない中で、普通の布団を敷き詰め合って寝るのよ。
少年院に入って一番最初に実感するのは、ふと窓に目を向けた時にある、鉄格子から見た外の世界への憧れだったの。「早く出たい、出たらこれやりたい」っていうことばかり考えてたかな。例えば運動場に出た時も、そこからうっすらと外のレストランとかが見えると、「あのご飯が食べたいな、外に行きたいな」とか考えちゃうんだけど、だんだん少年院の中での暮らしが長くなってくるとそうもいかなくなってくるの。どちらかといえば、やらなきゃいけないことや、書かなきゃいけない作文とか、毎日やることに追われていて、外の世界のことを考える暇もなくなってきたわ。