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空襲警報が鳴るたびに

 私は祖母を手伝い、そのお米で家族みんなの食事を作りました。とはいえ量が少ないので、お芋を入れたり雑炊にしたりして、かさを増やさなければなりませんでした。

 一番下の妹は、どなたかにご馳走になった牡丹杏(ぼたんきよう)(スモモの一種)を食べたら当たってしまったようで、隔離病棟へ入院しました。母が毎日お見舞いに通った甲斐もなく、そのまま死んでしまいました。キューピーさんみたいに髪がクルクルで、きょうだいで一番可愛い顔をしていて、まだ5歳だったというのに。

 空襲警報が鳴るたび、彼女の骨壺を持ち出すのが私の役目でした。製糸工場の横を通り、川辺へ下りてしゃがんで、敵機が飛び去るのを待ちます。「アキちゃん」と名前を呼ぶと、骨壺の中のお骨がカタコトと音を立てました。

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戦争だけは絶対にダメ

 玉音放送は炭屋さんの庭で聞きましたが、天皇陛下のお言葉は聞き取れませんでした。戦争が終わったと知って真っ先に思ったことは、「これでお菓子を食べられるかな」。甘い物などすぐ手に入るはずもないのに、頭に浮かんだのはやはり食べることだったのです。

 叔父が中国大陸で戦死しましたし、周りには特攻隊員になりながら終戦で命拾いした人もいます。私も学校で、竹槍の訓練をしました。戦争は、我が身に沁みついています。本物の弾は飛んで来なくても、いろいろな災いが身近へ飛んで来るのが戦争なのです。軍部が悪かったとか言いますが、あの戦争が正しいと信じた私たちに、責任はないのでしょうか。いまの私たちも、何か間違ったことを信じ込まされてはいないでしょうか。

 あれから80年。食べる物がある。家族が一緒にいられる。そんな当たり前の社会を築き、戦争に一度も参加しなかったのは、とても尊いことです。当たり前のありがたさを手にできない人が、世界にはたくさんいるのですから。

 戦争はダメ。もっともらしい理屈をどれほどつけようが、戦争だけは絶対にいけません。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。