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わずかなお米や野菜に変わった母の着物

 土間の障子を閉めても、ノミが跳んで上がってきます。灯火管制があるので、白いシーツの一部分だけ明るくなったところへピョンピョン集まるノミを捕まえて潰すのが、寝る前の日課でした。

 お隣は足袋屋さんで、おばさんがミシンを踏む姿が通りから見えていました。富岡駅へ向かう道の途中には、小さな劇場がありました。活動写真がかかったり、ドサ回りの一座が歌舞伎を上演したりしていて、小さい弟をおぶって何度も観に行ったものです。といっても切符が買えないので、すき間から覗いただけですが、小さな楽しみでした。

 食べる物で唯一の楽しみだったのが、「おかき」です。あれはお米だと思いますが、水で溶いて小さく丸めてから伸ばして、囲炉裏の横へ置いて焼くのです。お煎餅みたいに硬くないし、ぺちゃんこです。あんこも何も入っていないのに、「今日はおかき焼くの? まぁ嬉しい」と子どもたちは飛び上がったものです。

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写真はイメージ ©︎snowleopard/イメージマート

 けれども毎日の食べ物には、苦労していました。お味噌汁を作って、粉から捏(こ)ねたすいとんを入れられる日は、まだいいほう。母は、箪笥から着物を1枚ずつ取り出して出かけ、わずかなお米や野菜を手にして帰って来ました。私は祖母と留守番でしたが、子ども心にも苦労がわかって、とても気の毒でした。

 4歳下の妹(編集部注・女優の冨田恵子さん)は、母に手を引かれてついて行ったそうです。どこかの畑で農家の奥さんに向かって、母が「こんな物ですけど」と着物を取り出すたび、「ウチは要らないわよ」とか「ちょっと地味ねえ」とか言い返されるのを横で見ていて、悲しく悔しかったと言います。嫌で仕方ないけれど、その着物がお米に替わると思えば「買ってください」と念じるほかなかったと。