つけ麺が初めてメニューとして提供されたのは1955年4月1日。現在も営業を続ける『大勝軒(たいしようけん)』(中野区中野)でのことだった。
「つけ麺」はそもそもまかない食だった
メニュー名は「特製もりそば」で、考案したのは同店の店長を務めていた山岸一雄(1934-2015)。原型は調理中に茹で上がった麺をザルから丼に移す際に残ってしまった麺を器にとっておき、ラーメンスープと醤油を湯飲み茶わんに入れたものにつけた、忙しいときのまかない食だった。山岸は信州出身だったので、日本そばの食べ方を応用した“中華版ざるそば”にしていたのだ。もちろん、商品化の野心などなかった。
それを見た常連客が興味を示したのをきっかけに研究を開始し、冷やし中華の酸味と甘みをヒントに味を調整。麺の食感を活かした日本そばと、中華の風味を併せ持つ独自の食べ物に仕上げていく。つまり、客のリクエストでたまたま生まれたメニューだったのだ。ラーメン一杯35円に対し、5円高い40円で提供された。
山岸は自著である『東池袋大勝軒 心の味』で、当時をこう振り返る。
〈ある日空いた時間を狙って、いつものように少し隠れて陰のほうでまかないを食べていた。すると、常連客の一人が厨房をヒョイとのぞき込んだ。そして、言った。
「お、何食ってるの? 美味そうなものを食ってるじゃないか。今度、それを俺にも食わせてくれよ」
しかも、そう言ったのは一人だけではなかった。〉