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 喜之助もある日追い剝ぎにあい、身ぐるみをはがされてしまう。裸で泣いているところを、地元の不良少年グループのリーダーに拾われ、あっさり子分となってしまった。このころは、不良たちとスリやコソ泥をして歩いていた。終戦後、尾津マーケット付近に大勢いた浮浪児とほとんど似た暮らしをしていたのだ。

尾津喜之助 ©文藝春秋

肉切り包丁を振り回しての喧嘩で人を斬り…

 15歳、ついに、人を斬る。肉切り包丁を振り回しての喧嘩だったが、このとき少年は気付いた。自分が人より体格に優れていることと、修羅場の勇気と機転も備わっていることを。10代半ばにして喜之助は、「暴力の説得力」を身に付けてしまったのだった。

 こうして大きく社会から脱線していく喜之助。刃傷沙汰によって地元にいられなくなってしまうと、進退窮まって、炭鉱へ身を隠すことにした。東京北部の炭鉱だったというから、おそらく青梅だろう。自分の身を自分で請負業者に80円で売り、逃げたのだった。この炭鉱夫暮らしの時期に、刃物に限らず、拳銃の使い方をも身に付けてしまった。

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 あるとき坑道内で働いていると、突如として落盤事故が発生、真っ暗闇のなかに閉じ込められてしまう。一切飲み食いはできず、闇の閉所で喜之助のほか3人の坑夫は苦しむことになった。闇は目からの情報を奪い、現実を奪い、時間の観念を奪い、無のなかで無限におのれと向き合うことを強いる。

「俺は死なない」救助されたとき、体はほとんど無傷だった

 数日して救援隊が穴をあけたとき、2人は衰弱しきり、もう1人は、発狂していた。喜之助は無に引き寄せられない。ひたすら現実がやってくるのを待っていたのだった。救助されたとき、体はほとんど無傷だった。このときに確信めいた心境に至る。

「『俺は死なない』――これが俺の宗教だ。俺は人より体は大きいし、力だって5倍は強い」

 確信は異様な方向へと向かっていく。乱暴さは助長され、人に金を借りて返さず踏み倒そうとも、誰からもなにも言われないから増長する一方。16歳のころには、日本刀をムシロにくるんであちこちをうろつきだし、飲み倒し食い倒しは日常茶飯事、とがめられると白刃をみせつける悪童ぶりを発揮した。