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尾津喜之助は「やくざ」なのだろうか?

 彼は、「やくざ」なのだろうか。

 戦後間もない時期に書かれたやくざ(=暴力団、とする)に触れた資料や研究をみると、やくざをまずは職種で把握しようとしているものが見受けられる。最初に登場するのは、博打打ちで、次いでテキヤや土木建設関連業(加えて港湾荷役業なども)が続き、いうなればこれらを十把一絡げでやくざと見做していることがある。

 暴力をいとわないために他者との紛争を巻き起こし、一般社会からドロップアウトしてしまう人、しがちな人はいつの時代もいる。右に挙がっている業種は、出自や経歴を問わずにやる気さえあればどんな人も受け入れ、生活の立つ道を与えてきたから、社会から逸脱していく人々の受け皿となりやすかった。

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 若いうちに「暴力の説得力」を発見して、ほしいままに生きてきた喜之助のようなものも包含してくれたのだった。

 しかし職種だけで切り出してやくざか否かを判定するのは、現在の我々のボンヤリとした認識からいっても、そぐわない。土木系など言うまでもなく、スキルを積みあげねば仕事にならない職人芸的正業なのを我々は知っている。

 ならば、しきたりから見るとどうだろう。親分子分関係を結んでいるかどうかや、「兄弟分」など独特の業界用語(?)や符丁を使っているか。いや、これも筆者には単なる外装で、些末なことに思える。

 では一般人かやくざかを分かつ決定的事由はなにか。

 それは、本質的には「暴力を手段として商売をしているか否か」にかかっているのではないか。