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テキヤは商品を露店に置き、それを売って利益を得るという実業

 土木建設業は技能と筋力の組み合わせで構造物を造って利益を得、テキヤは商品を見極めて露店に置き、それを売って利益を得るという確固とした実業に違いなく、粗暴で喧嘩騒ぎを起こす者がいくらいたにせよ、暴力そのものを手段として利潤を追求してはいない。

 それぞれの実務の道を究めることが美徳という世界観が用意されている。ドロップアウトした人々が業界に入っても、心を入れ替えれば、暴力から離れ、それぞれのプロとして生きる道がある。

 博打打ち、博徒はその点異なる。汗をかいて働くのは野暮で、違法行為と知りながら、余人をよせつけない示威力をもって賭場を開き、維持し、そこで生きることを美徳としてきた。職人として時間をかけて技術習得したり、商人として取引先開拓をしたりして生きていく道とは異なる。

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 商売の構造自体がもとから示威力と結びついており、もっというなら暴力そのものを純化させ、商品化して利益を得ようとする道へと入りやすい。つまり博徒こそをまず、厳密なやくざの定義に入れていい。そして、暴力が商材というならば、このとき尾津もやくざと言っていいことになる。

 なんだかややこしくなってしまったが、のちの時代、警察がやくざ分類法を完成させたことによって、一般社会のやくざ認識もまた、誠にややこしくなった。高度成長期以降、警察は暴力団の取り締まりと監視を一層強化したが、そのとき、暴力団を仕分けた方法が、さきほどの暴力で規定するやり方とは必ずしも一致しないのだ。

 警察的定義に従えば、親分子分関係など外装的なことも多分に加味され、右の博徒もテキヤも同類として扱ってしまっている。

 筆者が知っている現在のテキヤ団体のいくつかは、露店で物を売る商人でしかないが、暴対法、暴排条例によって、商売は相当に規制を受けている。警察から見れば、今もやくざなのである。

 ややこしさを振り払いたいとき、もう一度言うが、これだけを判定材料にすればいい。

「暴力を手段として商売をしているか否か」

 少々、脇道に入り込みすぎた。大正期の尾津喜之助へ戻ろう。