1ページ目から読む
4/4ページ目
20歳で松島の芸者と“深い仲”になった経緯
大正7年、20歳の尾津は、松島の芸者、富菊と深い仲となってしまう。芸者、と尾津は手記に記しているが、現在の大阪市西区に位置した松島の遊興地は、花街ではなく、遊郭。芸妓もいたにせよ圧倒的に娼妓が多かった。彼女がどちらだったかはわからない。尾津より2つ年上の22歳だった。
日々富菊のもとへ通うということは日々大金が溶けていくということ。気付けば、当時としては莫大な6、7万円ほどもの会社の運転資金を使いこんでしまっていた。
大正初期の企業物価指数を今と比較すると1000倍ほども開きがあるから、単純比較は乱暴にしても現在の価値にして数千万円ほどにもなろうか。こんな額を使い果たしたなら富菊だけと遊んでいたとは思えないが、ともかく、平井工務所にもいられなくなった尾津。
結局また、逃げを打つ。平井の娘も、その間にできた子も捨てて。父に棄てられた子は男の子だったろうか。この時期に生まれた男児はのちの戦争時代、大勢戦地へ送られた犠牲多き世代だ。戦後までこの子が生き延びられたかもわからない。尾津は妻子を捨てて縁が切れたあと、この子について書き残していない。