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 ただ、折に触れこの話を尾津はしたし、細部が違っても毎度重なる点を見ても、尾津が殺人を決意したこと、赤田が尾津より一枚上手だったこと、尾津は虚を突かれ、逃げ出したことだけは真実とみていいと思う。

その後、赤田と尾津が兄弟分になったワケ

 注目したいのは、大正初期、土木建設の職人に進むべき人々が、戦後イメージされる暴力団とほとんどかわらないケンカをしていたこと。このことは先にのべた曖昧模糊(あいまいもこ)の状況をよく表している。若き尾津は、ただ荒ぶる心のままに行動し、それが通ってしまう環境だった。

 結局、尾津は神戸へ逃げ、土地の有力親分である「富永のボテやん」なる人物の仲裁を頼み、赤田と尾津が兄弟分となることで収まった。こうした仲裁法も仲介を頼んだ顔役の登場を見ても、やはりほとんど暴力団と同質の面を当時は持っていたと言わねばならない。

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 ハタチ前後の青年と組長が兄弟となるのだから、赤田側に非があったのかもしれない。その流れのままに、今度は平井所長の養子になっては、という話がボテやんと京都の勇山なる有力親分から持ち込まれた。尾津は仰せの通りに従い、平井の娘と結婚した。

尾津喜之助 ©文藝春秋

新婚の妻を放置して激しい夜遊び

 誰の人生にもいくつかの大きな分岐点があるが、尾津がこのとき妻と舅を大切にし、工務所の跡取りとなり生涯を送っていれば、これまた新宿の街はいまと違う様子だったに違いない。もちろん、そうならなかった。

 この平井の娘と尾津が、とにかくぜんぜん合わない。

 新妻は梅花高等女学校を出ている。中学へ行けず出奔(しゅっぽん)した新郎には、妻が「女学校出」というだけで、ツンとお高くとまっている気がしてならなかった。気後れしていたところもあっただろう。そんな新婚早々、平井工務所は大阪築港工事案件を受注する。これは大きな仕事だった。尾津は若くして現場責任者に任命される。

 元来、仕事はできるほうだから、あれよと上手く現場が回りだすと、しだいに尾津も大きなカネを動かせるようになった。カネが手元にあるから夜遊びも激しくなる一方。尾津は、気の合わぬ妻を放置して花柳界(かりゅうかい)に出入りするようになっていく。ちなみに後年も尾津は花街では相当にモテた。