依存症に関する常識が変わらない一方で、ここ20年で急激に変わったものがある。うつ病をはじめとする精神疾患をめぐる常識だ。なぜうつ病をめぐる認識は大きく変わったのか。そして、うつ病が「仮面」となる場面とは。
発売中の『週刊文春WOMAN創刊6周年記念号』より、一部を編集の上、紹介します。
差別か、それとも断罪か
世界でも稀な飲酒許容文化の国である日本では、アルコール依存症についての常識は昭和の時代からほとんど変わっていない。
社会的な動きだけではない。依存症本人への評価も変わっていない。意志が弱い、人間的にダメだ、逃げるなんて甘えだ、などに象徴される断罪ぶりは際立っている。それは統合失調症のような精神的疾病への差別感情とはひと味違っている。
それをなんと表現すればいいのだろう。たとえば、自分だってこんなにつらい思いしているのに、お前たち(あなたたち)は酒に逃げるなんて甘えてるんじゃないのか、自分の酒くらい自分でコントロールしろよ!という激しい憤りのようなものを感じさせる。飲酒は本人の責任なんだ、うまく飲めないなんて本人の性格の問題や果ては遺伝ではないかという視線も見え隠れする。
アルコールは嗜好品としてもっとも親しまれているために、上手に飲めないことへの風当たりはそのぶんだけ強くなる。ましてそれが依存症という「病気」だなんて、ふざけるな!とばかりに批判される。世間だけではない、依存症の本人の多くもそう信じている。うまく飲めなかった自分を「克服」して、うまく飲めることを証明するために飲み続けるという悪循環に陥っていくのだ。
1960年代から、ごく一部の精神科医たちは、そのような偏見と闘ってきた。病気なのだから治療すればいいという当たり前のことを訴えてきた。それから60年近くたった今も、同じ誤解と偏見に対して、ひと握りの精神科医たちは相変わらず闘っているのである。精神科医ではないが、わたしも闘ってきたひとりだ。
メンタルクリニックの存在
アルコール依存症についての常識が60年近く変わらない一方で、ここ20年で急激に変わったものがある。うつ病をはじめとする精神疾患をめぐる常識だ。
21世紀になったばかりのころ、四国や九州から講演の依頼があると、主催者である県の担当職員に「貴県には、精神病院ではなく手軽に行けるメンタルクリニックはいくつありますか?」と聞くようにしていた。
当時は県庁所在地ですら、せいぜい1~2か所くらいだったろうか。おそらくそれは需要の低さによるものではない。受診する側にとって、精神病院はおろか、メンタルクリニックへの敷居でさえ高かったのだ。