1972年(86分)/東映/動画配信サービスにて配信中

 二〇二四年十一月で菅原文太は没後十年を迎えた。

 菅原といえば深作欣二監督とのコンビで名を馳せ、特に「仁義なき戦い」シリーズはその象徴として扱われる。ただ、このコンビならではの菅原のギラギラした野性味が炸裂するのは一作目前半の一時間弱でしかない。その後は、やくざ社会の勢力争いや親分の理不尽にひたすら振り回される、困惑と忍耐の芝居が続く。

 両者が存分に暴れたのは、『仁義なき戦い』の直前に撮られた二作品だ。一つは『現代やくざ 人斬り与太』、もう一つが今回取り上げる『人斬り与太 狂犬三兄弟』。題名だけだとシリーズに思えるかもしれないが連続性はない。

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 ただ、大まかな展開は似ている。暴れ回って収監されたチンピラやくざ=菅原文太が出所してきたところ、社会はすっかり落ち着いていた。それにイラ立ち、八つ当たり的に暴力を繰り広げた挙句に自滅していく――。

 戦後すぐのカオスを理想とし、平和な社会は破壊の対象――という深作イズムが最も如実に表れたのがこの二作で、それを体現する暴力の化身として菅原が躍動した。特に『狂犬三兄弟』は強烈だ。

『現代やくざ~』は内面が語られたり、暴れるのもやくざ社会内のみだったりと、観る側に情状酌量の余地を与える。が、本作はそうではない。ひたすら理不尽な暴力に邁進し、その対象は一般社会にも及ぶのである。

 特に酷い目に遭うのが、弟分・正吉(田中邦衛)の一家だ。障害を負った弟を抱え、廃品回収で生計を立てる貧しい母(菅井きん)から、正吉は金を強奪する。その阿鼻叫喚を耳にしながら、主人公は我関せず。家の外で平然と酒をあおっているのである。

 両作にはもう一つ共通点がある。渚まゆみの演じるヒロインが、主人公から酷い目に遭わされるのだ。特に『狂犬』では全裸のまま主人公のアジトから逃げる場面がある。さぞや過酷な撮影だったに違いない――と思うところだ。

 が、「週刊ポスト」の菅原文太追悼特集で渚自身に聞いたところ、そうではなかった。これまでのイメージを変えたいからとマネージャーの反対を押し切って自らの意志で出演し、全裸で逃げる場面も喜んで演じきったのだという。

「仁義なき戦い」シリーズでは川谷拓三や福本清三らの大部屋俳優たちが深作演出に乗せられて猛然と暴れまくり、それが作品全体に異様な高揚感を与えていた。その原点になっているのは、ここでの渚の、文字通り身体を張った全身全霊の芝居にあるのではないか――。嬉々として当時のことを語る姿を見ていると、そう思えてきた。