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殺害を命令できるのはプーチンだけ

 20日の聴取は午後4時33分に始まった。マリーナは帰宅までにまだ時間があり、初めのうちは同席している。体調が急激に悪化しているためか看護師が横についた。

 警察はミレニアム・ホテルから帰宅後に症状が出るまでの様子について聞いた後、事件前日(10月31日)の行動を確認する。

 どんな質問にも積極的に答えていたリトビネンコがここで証言を拒み、警察を困惑させた。

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「31日午後4時ごろ、私はある人に会いました。ただ、その人の名は言いたくありません。約束だからです」

「その人と会ったんですか」

「はい」

「それなら名前を教えてもらわねばなりません」

「電話番号を言いますので、直接本人に聞いてください」

「どこで会ったのですか」

「ピカデリー・サーカスにある(大型書店の)ウォーターストーンズのカフェです」

「予定された会合ですか。それとも偶然?」

「電話でやりとりした後、約束した会合です」

「何か食べたのですか」

「彼はコーヒー、私はホットチョコレートを飲みました。それと小さなクロワッサンを食べました」

 相手はMI6の人物だった。リトビネンコは体調が悪化し、死を意識せざるを得ない状況にあっても信義を守ろうとしている。ロンドン警視庁とMI6は普段から、緊密に連絡を取り合っている。MI6はソ連のKGB、ロシアのFSBやイスラエルのモサドのような強制力を持たない。あくまで諜報、防諜に徹し、容疑者の逮捕など強制力を必要とするときは警視庁の力を借りる。そのため両者は想像以上に情報交換している。

 ロンドン警視庁はその後、リトビネンコが会談した人物を容易に特定した。

 最終日の聴取もすでに3時間を超え、終わりに近づいた。ホアーが、「あなたを傷つけたいと願った人物に心当たりはありますか」と聞いた。「殺人」や「殺す」という言葉を使わず、「傷つける」と表現した。リトビネンコはきっぱりと答えた。

「疑いがありません。ロシアの秘密情報機関です。私はその制度について知っています。国外での殺害を命じられる者は一人しかいません」

 続けてハイヤットが聞いた。

「その人物を教えてもらえますか」

©JMPA

「ロシア連邦大統領、ウラジーミル・プーチンです」