──入院後は体調を気にかけてもらえたのでしょうか?
月まる それがひどくて。塾で毎週日曜日の特別特訓があり、それは絶対に行くように言われ、入院した翌週から電車に30分乗って通っていました。本当は安静にしないといけないのですが、主治医をなんとか説得し、その日だけは外出許可を取っていたのだと思います。
──この頃、父親はどうしていたのですか。
月まる 母の言いなりです。お金の管理も含めて「妻に全部任せてます」という感じの人だったので。
ただ、母は「勉強しろ」とは言うものの、自分では教えられない人でしたが、父はそれなりに学があったので、入院中は毎日来て、2時間くらい勉強を見て帰るような日々でした。
──ネフローゼ症候群の原因はストレスだったりはしないんですか?
月まる ネフローゼ症候群自体は偶然だと思います。勉強や家庭環境のストレスとかでなるような病気ではないので。
ただ、免疫に何かしらの異常が出て発症する病気という説明を受けたからか、母の中では「直前に受けたインフルエンザワクチンが原因」という結論になってしまって。以降ワクチン忌避が強くなり、私は大学に入るまでインフルエンザワクチンを打つことができませんでした。
「単純に母の機嫌が悪かったり、気に入らないことがあると暴力を…」
──完全に「教育虐待」にあてはまる状況だと思うのですが、いつまで続いたのですか?
月まる なんとか中学受験では第一志望に合格して、私は受験が終われば解放されると思っていたのですが、母の教育熱は悪化する一方でした。正直自分の実力以上の進学校に入学したというのもあり、下から数えた方が早いくらい成績が悪くなってしまったんです。
母はそれが気に食わなかったようで、暴力をふるわれることも増えました。
──殴ってでも勉強させる、ということでしょうか。
月まる それ以外にも、単純に母の機嫌が悪かったり、母にとって気に入らないことがあると暴力をふるわれました。
たとえば、中学に入ってもネフローゼ症候群は続いていたので体力がなくて、帰宅するとまず寝てしまうんです。でもそれで夕飯の時間に声をかけられて気づかないと怒鳴ったり殴ってきたり。