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──その状況が、大学2年で一人暮らしを始めるまで続いた。

月まる 大学受験も大変でした。現役のときは志望校に全然受からず浪人して、1浪のセンター試験(現:大学入学共通テスト)の前日に、38度以上の熱が出たんです。それでも母に「検査を受けずに試験に行け」と言われたので、仕方なくそのまま受験しました。終了後に検査したら案の定「インフルエンザですね」と言われ……近くの席の方にうつしてしまっていたら本当に申し訳ないです。

──38度の熱で受験は無謀です。

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月まる そんな状態だったので全然点が取れなくて、その時点で志望校は絶望的でした。それでも母は「国立大学に行くべき」と激ギレしていたんですが、父がまだ申し込みが間に合う私大の願書を全部取ってきました。

 浪人の1年間で私はストレスで体重が20kg落ちていたのもあって、父に「もう1浪したら体が持たないよ。(母親のことは)なんとかするからとりあえず私大を受けよう」と言われました。母が叫んでいる横で、父と私大医学部の願書を書いたのを覚えています。

──医学部の2年生のときに実家を出られたのですよね。

月まる 片道2時間の通学が大変で、実家を出ることになりました。家を離れたことでだいぶ楽にはなったのですが、母からのメールに返信が少し遅れると人格否定のような文面が送り付けられてきましたし、鬼電もひどかったです。

 

「せっかく医師にしてやったのに、なんて役に立たないんだ」

──医師という職業選択は妹さんの影響もあったのですか。

月まる 親も私を医者にしようとしていましたが、それと同じくらい「東大か医学部に行くのが普通」という学校だった影響も大きいです。障害児教育に興味があることを母に話したら、「それは私の理想とする道ではない」と強く否定されたので、医療から障害児に関わればいいと思って。それ以降は自分の思いが揺らぐことはなかったですね。

──お母さんは月まるさんに医師になってほしかった。

月まる 私が医師になれば、妹の知的障害や自閉症を治せると思っていたようです。医師の力で治せるものではないのですが……。

 母は今でもその幻想から抜け切れていなくて、「せっかく医師にしてやったのに、なんて役に立たないんだ」と何度も言われてきました。

──現在の両親との関係はどういうものなのでしょう。

月まる 私は就職して早い段階で結婚して家を出ているので、一緒に暮らしていたのは大学1年生が最後です。家を出て医学部での勉強もして、自分の家庭環境が普通じゃなかったことがわかってきて、20代の頃に一度、10代の頃の暴力について両親に追及したことがあります。父は謝ってきましたが、母はそのときも「私の言うことを聞かなかったんだから、私は全く悪くない」と主張していました。今は実家とは絶縁状態です。