──中高生となると、体の大きさ的には同じくらいに?
月まる なので時々殴り返していましたが、やっぱり母を強く殴ることはできませんでした。それでも母は気にせず、痣が残るくらい力いっぱい殴りつけてきました。
私の体が大きくなってくると、徐々に避けたり抵抗したりできるようになったので、母はだんだんと物を使うようになって、掃除機の棒でよく殴られました。顔だけはガードするんですが、腕や背中が痣だらけになるんです。掃除機の棒が折れたこともありました。
──学校などには相談できなかったのでしょうか。
月まる 特に暴力がひどかった高2の頃に一度担任の女性教師に痣を見せ相談したことがあったのですが、言葉に詰まったまま何も反応がなく、何もしてくれませんでした。
──明らかに虐待を受けているであろう高校生に声もかけてくれなかったのですか。
月まる それどころか、後日、二者面談で担任と母が話したときに、担任が「お母さんも大変ですよね」と突然ボロボロ泣き始めたらしいんです。聞き分けのない娘を教育するために暴力を振るわざるをえない母親だとでも思ったのでしょうか。母は「わけわかんなかった」と話していましたが、私は絶望していました。大人は何もしてくれないのだと思い、誰かに母の暴力の相談をするのはやめようと思いました。
「母親に対して毎日『死ね』と念じながら暮らしていました」
──母親の暴力について、当時の月まるさんはどう思っていたんですか?
月まる 高校生の頃からは、母親に対して毎日「死ね」と念じながら暮らしていました。自分の手を汚してしまうと人生が台無しになるからできないけど、どこかで死んでほしいなって。なので毎日帰宅するときは「お母さんが交通事故に遭った」って連絡が来ていないかな、と思っていました。
──母親が月まるさんに暴力をふるっていたことを父親は知っていたのですか?
月まる もちろん知っていました。それどころか、母が癇癪を起こしてヒートアップしたときは、父も一緒になって手を出し始めることがあったくらいです。私も何度か殴られてますが、弟の方がよりやられてましたね。「正座しろ」と言われ、そのまま蹴られて3メートル近く吹っ飛ぶこともありました。