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 一連の汚職事件は、電通を巻き込んだ談合事件へと発展。底なしの広がりを見せた。東京五輪の開催が決まった2013年9月の“ブエノスアイレスの歓喜”から約10年。「復興」「コンパクト」「多様性と調和」を掲げたスポーツの祭典は、総額1兆4238億円という空前の巨費が投じられ、カネと利権に塗れた大会へとすり替わっていった。

 その真の総括は、すべてを知る男、高橋治之を抜きには語れない。

高橋治之氏 ©文藝春秋

裁判で見せた弱々しい姿

 初公判から遡ること約2カ月半前の9月27日。治之は、東京地裁429号法廷の証言台にいた。

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 前年の12月26日に3度目の保釈申請が認められ、東京拘置所から車椅子姿で報道陣のカメラの前に現れて以来、初めての公の場だった。この時の姿は、初公判とはまるで違っていた。マスクをつけ、首には水色のコルセット。髪の毛は油っぽくベッタリと張り付き、グレーのスーツにも皺が目立った。ヨタヨタ歩く姿は、病人そのものだった。

「どうぞお掛けになって下さい」

 裁判長からそう勧められ、座ろうとするが、スッとは座れず、両手を証言台の机の両サイドに置いてゆっくりと着席。宣誓書の朗読で立ち上がる際にも何かにつかまらなければ立てない状態だった。

 治之は、計4回逮捕・起訴され、いずれの事件も否認していたため、保釈のハードルは高いと見られていた。だが、首に持病を抱えており、手術の必要があったことから保釈が認められた。一貫して贈賄罪について否認を続けたKADOKAWA元会長の角川歴彦が、約7カ月勾留され、2億円の保釈金だったことを思えば、4カ月余りの勾留で保釈金が8000万円だった治之は、まだマシだったと言えるかもしれない。実際に、保釈後は首にボルトを埋め込む手術を受けており、痛々しい手術痕が残っているという。

 この日は、贈賄罪に問われた大広の元執行役員、谷口義一の公判が朝10時半から行なわれていた。谷口は無罪を主張し、検察側は治之を証人として申請。彼にとっては不本意ながらも避けては通れない証人出廷だった。拒否すれば、保釈を取り消される可能性があったからだ。

「今般は大変申し訳ございません。刑事訴訟法146条に基づいて、一切の証言を拒否することにしたので、お答えすることはできません」

 治之は、経歴を尋ねる検察側に対して、繰り返し、回答を拒否した。しかし、検察側は押収した治之の手帳のコピーを見せるなどして執拗に追及を続けていく。

「暑いのでマスクを外していいですか?」

 治之はマスクを手に取ると、押し問答のようなやり取りに飽きたのか、時折手でマスクを弄びながら、腕時計をチラチラと確認する。