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――2000年前後くらいのテレビだと、一つの番組にかけられる予算もすごかったのではないでしょうか。

小林 とある番組では、共演したフードファイター仲間が「プロデューサーに聞いたんだけど、あの番組の予算、億単位だって」って言っていました(笑)。

『フードバトルクラブ』では、1枚数万円するステーキとか普通に出てきましたね。それを「15分で食べろ」って(笑)。試合の会場もパシフィコ横浜だったり東京ビッグサイトだったり、そこにめちゃめちゃでっかいスクリーンを据えて。すごい規模だなと思いました。賞金も当時1,000万円でしたし、今だったらちょっと考えられないですよね。

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「あの食べ方はダメだ」という批判も…

――すごい。あの頃はK-1もすごく人気でしたが、大食いとともに人間同士のガチンコ勝負に世の中が酔いしれた時代でした。

小林 2000年に『TVチャンピオン』で僕はデビューして、2001年に『フードバトルクラブ』が始まって、2002年の元日は2~3のテレビ局がフードファイトの特番をやっていました。やっぱり視聴率とれたんでしょうね。かなりイケイケの時代でした、フードファイトの。

――小林さんはずっとその渦中にいた。

小林 それも今になってみないとわからないことでした。普通、テレビ番組で長い間画面に映るのは、ドラマだったら主役だろうし、バラエティ番組だったら司会者だと思うんですよ。僕は一挑戦者ながらその枠と同等の扱いで、1時間、2時間の間ずっと出続けていた。それは本当にすごいことだったんですよね。有名人でもないのにものすごい時間をもらってたんだなって。

 

――だから視聴者の脳裏に焼きつけられた。

小林 あと演出がよかったですよね。『フードバトルクラブ』は特にスタイリッシュだった。準決勝からスーツに蝶ネクタイで食べてました。ただ蝶ネクタイは本当に苦しいので文句言ってましたけど(笑)。

 とにかく早くたくさん食べるという行為に一部の視聴者からの批判はあったけど、僕は「でもこれはスポーツだから。食事のマナーの延長線上で『あの食べ方はダメだ』ということに対して折れちゃってたら、新しいことはできないから、そのままやりたい」と主張していましたね。

――「食事のマナー」とは一旦決別する。

小林 難しいんですよね。本当はもう1つステップが必要だったのかもしれない。フードファイトは普段の食事と違うということを視聴者にわかってもらえるようなステップを一つ踏めたらよかったなと思っています。あまりにも一気に世間に広がっていってしまったので、常に人気と批判とのせめぎ合いみたいになっちゃいました。