2002年、中学生の窒息死事故により、それまでテレビをジャックしていた全ての大食い番組は姿を消した。「大食いはスポーツである」。そのことを証明するために、かつて“大食い界のプリンス”と呼ばれた小林尊(46)は活動拠点をアメリカに移す。
そこで待っていたのは大食いヒーローとしての栄光と、外国人チャンピオンゆえの差別、挫折の日々だった。2010年7月4日のホットドッグ大会での逮捕の真相、マイノリティとしての自覚、新たな挑戦……。アメリカの「分断」がフードファイター小林尊にもたらしたものとは。(全3回の2回目/初めから読む)
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「大会6連覇チャンピオンが逮捕」の真相
――日本のテレビから大食い番組が激減した後、我々が小林さんの活躍を知るのは、「小林尊がホットドッグ早食い大会の記録を更新した」というニュースが主でした。アメリカでの生活で大変だったことはなんでしょうか。
小林尊さん(以下、小林) 最初は本当に「大食いできりゃいけるだろう」っていう感覚でした。英語はまったくできなかったんですけど、ただ勢いだけで。
でも、すぐに移住したわけではなくて、行ったり来たりという感じでした。2006年に母をガンで亡くしているんですけど、母の闘病生活中は日本に住んでいたので。大会のたびに日本とアメリカを往復していました。本格的なアメリカ移住を決めたのは、母が亡くなってからですね。なんだかんだ2010年ぐらいかな。
ただ、この年に大会運営団体ともめて、メインの大会に出場できなくなったんです。せっかくアメリカに移住したのにアメリカでの活動がほぼほぼ報道されなくなったという……。
不法侵入、公務執行妨害などで逮捕
――アメリカで長い歴史を持つホットドッグ早食い大会で、小林さんは2001~2006年に連覇。ところが2010年、大会運営団体に提示された契約に反発したところ、出場資格がなくなってしまいました。
小林 大食いをスポーツとして広めたいという思いで渡米し活動していたのに、決まった大会にしか出られなくなるとか、メディアへの出演も制限されるといった内容の契約を突きつけられたんです。その条件をそのまま飲むことはできなかった。
フードファイトの中でも歴史ある大会で、僕の出場を楽しみにしてくれるファンもたくさんいた。「出演料はいらないから大会に出してくれ」とも頼んだんですが、ダメでした。