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小林 だから、アメリカ人ではない……それも日本人に勝たれるのは嫌だ、と思う人が一定数いるわけですよ。プライドが許さないっていう人が本当にいる。

 そんな中で、「そんなの関係ないじゃん」って、「国籍も人種も関係ないでしょ」ってオープンに受け入れてくれたのが僕のファンなんですよね。ものすごくリベラルな人たち。当時の僕のライバルであるチェスナット*は、「白人に勝ってほしいという人たち」が主な支持層でした。分かりやすく言えば共和党のトランプをサポートするほうがチェスナット派で、民主党支持の方には僕派が多い。だから、ファン層がくっきり分かれていました。非常に政治的でしたね。
*アメリカ人フードファイターのジョーイ・チェスナット。ホットドッグ早食い大会で2007年に小林さんを破り、以降は「ライバル」として競ってきた

小林さんとジョーイ・チェスナットのバトルはNetflixで生配信された(Netflix『Chestnut vs. Kobayashi:究極のホットバトル』)

自分がヒールになって生まれたマイノリティの自覚

マギー アジア人、黒人、ラテンアメリカ人、ゲイ、レズビアン……。そういった方々からは熱い支持を集めていました。大食いの世界で、小林はマイノリティのアイコンだったの。

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――いつからそれを感じていましたか。

小林 はじめは僕に対しても「なんかすごいやつがきた」くらいの反応で、みんなただ楽しんで応援していたと思うんですけど……。チェスナットと競うようになってから明確に変わりましたね。僕と競争できる白人選手が現れてから、大会運営側もブランディングの仕方を変えるようになった。小林が独立記念日のアメリカに恥をかかせる存在で、それを阻止する白人のヒーローがチェスナットという。

――ヒーローからヒールに。

小林 誤解を恐れずにいうなら、あれは僕が広げていった大会だったんです。僕が記録を作る前は、お客さんも100人くらいしか来ないし、もちろんテレビ局の中継なんてありませんでした。僕が出るようになってから、スポーツチャンネルでライブ中継するようになり、一気に認知度が増して……。なので、正直傷つきましたね。

 

――急に手のひらを返された。

小林 アメリカに行って初めて「マイノリティってこういうことなんだ」って気づきました。当時は今よりアメリカに暮らすアジア人、日本人が少なかったですし。

 だからいつも戦っていなきゃいけない、戦わないとないものにされちゃうから。いつも声をあげてないとないものにされてしまう。アメリカは移民にとっては毎日叫んでいないとシステム的に消されていくところなので、そういう意味でフードファイトというより個人的に(アメリカでの生活は)大変だなって思いましたね。

 一方でマイノリティとしての自覚が芽生えると、独立記念日に僕を応援してくれている人の気持ちがわかってきたんです。「いつも7月4日見てるよ」「その日だけは小林は俺のマイボーイなんだってみんなに叫ぶんだよ」って言ってくれる人たちの気持ちが。