1ページ目から読む
3/4ページ目

「自分が守ってあげるしかない」――康祐は自分に言い聞かせた。そして結婚を決めた。家事はままならず、康祐は仕事をしながら身の回りの世話をする毎日だった。

 また朝がきて、苦悩の一日が始まる。やがて事件が育つとは思いもしなかった。

逮捕、気づけば自分も病んでいた

 結婚から2年後の2006年12月、愛娘の美咲さんが生まれた。

ADVERTISEMENT

 子授けは、当初は康祐だけが望んでいた。だが、ある日、朋美が突然「子供が欲しい」と言い出したのだった。これも症状からくる心変わりなのだろうか。康祐からすれば、そうであっても待望の第一子だった。

 症状が育児のなかで現れたのは、それから1年後のことだった。康祐は、朋美が娘をソファに投げつける現場を見てしまったのだ。まるで、いらなくなった縫いぐるみを捨てるようだったという。娘を物扱いする朋美を見たのはこの一度きりで、仕事で家を開けている時の状況まではわからないこと、そうであっても「それまで溺愛していたのに」と康祐は語った。

 だが、朋美の奇行はそれだけではなかった。今度は康祐に対して理不尽な理由で殴る蹴るの暴力をするようになったのだ。理が非でも朋美を守ると決めていた康祐は、何をされても黙って耐えた。

 康祐の生活には、仕事と朋美や娘の身の回りの世話に「朋美からの暴力」が加わっていた。やがて康祐は、身も心もズタボロの状態になっていく。そうであっても朋美を守ると決めた気持ち。

 その限界はある出来事により表面化した。

 2008年10月19日、康祐は会社をクビになった。仕事上で簡単なミスを連発するようになり、会社からすればまるで使えない人材になっていたのだ。すると、会社から肩を叩かれた。経営陣から言われた言葉は「君のためにも少し休んだほうがいい」だったが、事実上のリストラだった。

 その日の夜のことだった。

 康祐は現金44万円とガスレンジを仕事で通い慣れた取引先宅から盗み、窃盗及び住居侵入罪で逮捕された。盗みを働いたときのことを、康祐は覚えておらず、「記憶はあるけど」として振り返る。