「月一で会わせるって言うんですよ。それを私は鵜呑みにしてしまいました」

 離婚調停によって、娘の親権を失った阿部康祐さん。妄想性障害を抱えた元妻に娘を預けてしまったことを、今も深く後悔する理由とは…。ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の新刊『殺人の追憶』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/最初から読む)

なぜ最愛の娘は元妻に殺されたのか…? 写真はイメージ ©getty

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親子が引き裂かれた離婚調停

 康祐と朋美は、康祐が窃盗事件を起こした直後に別居した。美咲さんはどちらが預かるのか。

 二人のなかでかなりの綱引きがあったが、頑として譲らない朋美が実家に連れて帰った。

 二人は別居から1年後に離婚。康祐から離婚を申し出たという。

写真はイメージ ©getty

 朋美を「自分が守ってあげるしかない」と固く決意していたとしても、これまでの経緯からすれば仕方がないことに思えた。その点を康祐に問うとこんな答えが返ってきた。

「もう自分は限界なんだ、と。また犯罪を犯すくらいなら、離婚したほうがマシだろう、と。自分には、とにかく美咲を守らなきゃいけないという気持ちが強くありました。それで離婚調停を起こしたんですよ」

 この離婚調停が意味するものは、別居以来、康祐は美咲さんと会っていない――会わせてもらっていない――ことだった。“普通”の母親なら諦めることもできたが、朋美では“危ない”と感じていた。定期的に会って様子を見ることが極めて重要だと考えていた。

 そのためにはどうしたらいいのか。康祐はすぐさま面会交流調停を申し立てた。美咲さんの親権をめぐり朋美と争ったのだ。親権さえ勝ち取れば、娘を守ることができる。だからこその発想だった。

 これを受けて朋美は、弁護士と相談した上でこんな提案をしてきたのだった。