――家族に暴力を振るう父親の姿を見て、ショックも大きかったのでは。
橋本 ショックというより、驚きでしたね。そのときは、目の前に迫りくる父親の拳が何を意味しているのか理解できなくて、怖いと感じる余裕もなかったんです。
実は、父からDVを受けた後、両親が離婚するまでの記憶があいまいなんですよ。DVから数か月くらい経って離婚するんですけど、それが具体的にいつなのか、というのがはっきり思い出せなくて。でも、私にとってそれくらい衝撃的だったのは確かです。
両親の離婚後、裕福だった暮らしが一変した
――ご両親が離婚すると、生活がガラッと変わりますよね。
橋本 変わりましたね。父がいるときは、「マシェリ」のシャンプーをずっと使っていたんです。「パンテーン」や「エッセンシャル」よりも少し高価で、いい香りがする。
でも、両親が離婚して母の稼ぎで生活するようになってから、母に「『マシェリ』は高いから『パンテーン』にしよう」と言われて。
シャンプーを少し安いものに替えるなんて、些細なことじゃないですか。でも、それまで裕福な暮らしをしていた当時の私は、こんな小さなことから生活を変えていかなきゃいけないんだ、うちってそんな感じになっちゃったんだ、とショックを受けました。
――父親から慰謝料や養育費の支払いは?
橋本 ありましたけど、払ってもらえないことも多かったみたいで。父が経営していたバーは、私が16、17歳くらいのときに潰れるんですが、両親が離婚する前からうまくいってなかったんです。だから、父も経済的に厳しかったんだと思います。
「まさか私に性的虐待をするとは」母親に新しい恋人ができた経緯
――母親に新しい恋人ができたのは、離婚してどれくらい経ってから?
橋本 はっきり覚えていないんですけど、1年くらいだったと思います。母とその恋人は、もともと知り合いだったんですよ。
――どのようなお知り合いだったのでしょうか。
橋本 母が通っていた卓球サークルに、その男性もいたんです。私もその卓球サークルに行ったことがあったので、見かけたこともあって。
そのときは、その人がのちに母のパートナーとなり、私に性的虐待をするとは思いもしませんでしたけど。