辛口評論家などといわれた私の本を読み、「この辛さを、音で味わってみたい!」と講演を聴きに来て、「金属性の声に違いないと思いきや、マイクに乗って届いてきた声は、やわらかい木のような、どちらかというと木管楽器の響きさえ感じられた」と評した人がいる(林田スマ『ことばの花束』より)。
本書に登場する当時の社会主義者、通称シュギシャは私以上にそう思われていたのだろう。
幸徳秋水をはじめ12人の仲間が国家によって縊り殺された後、残された堺利彦や大杉栄、そして荒畑寒村らは、売文社によって「冬の時代」を生き延びた。
この小説はそれを発案した堺を中心に描かれているが、堺の人となりと生き方からは木管楽器の響きが聞こえてくる。ミステリーの要素をまじえてシュギシャを踊らせる作者のペンにその響きがあるのである。
文を「売る」という行為に、ヒステリックに反発するシュギシャもいるだろう。しかし堺は、色街の女から男に手切れ金を請求する手紙の代筆を頼まれた時も、嬉々としてそれに取り組み、彼女が書いたとしか思えない手紙を仕上げた。
「道楽は道楽でも、命懸けの道楽もあるさ」
作中で堺はこう語り、革命家は英雄豪傑ではなく、名もなき凡人だ、と続ける。
人はパンのみにて生くるものにあらずと言うが、パンなくしては生きられない。まさに「芸は売っても身は売らぬ」生き方と言えるかもしれない。つまり売文社は「居場所を失った社会主義者の避難場所であり、同時に防波堤」だったのだ。
天皇暗殺を企てたという大逆事件をでっちあげられ、幸徳らが絞首刑に処された時、外国語の新聞や雑誌は「文明国にあるまじき蛮行」「日本は野蛮な非文明国であることを自ら証明した」と批判したが、国内ではやはり、社会主義者は「極悪非道の徒」として危険人物視されていたのである。
そのシュギシャに作者はあたたかい血を通わせた。全編に漂うほっこり感が、堺を隣の親しみやすいオジサンにしている。
主人公に織物工場を追われた若造を配し、その眼で堺らを描いていることも飽きさせない要因なのだろう。
作者は「連帯」を「一味」と表現し、大杉たちが例えば「対華二十一カ条」を火事場泥棒的行為だと難じたと書く。演歌師の添田唖蝉坊(あぜんぼう)や弁護士の山崎今朝弥(けさや)も登場してユニークな色を添えている。彼らの闘いは戦争成金や不在工場主、そして、その背後の政府に対して破天荒で独特なのである。
堺の娘の真柄(まがら)はある時、父親に尋ねた。「社会主義者とはどんな人なのか」
堺の答は「弱きを助け、強きを挫く者」だった。
ミリオンセラー『ジョーカー・ゲーム』シリーズの作者は、「冬の時代」を描きながら真っ赤で楽しいこの作品を咲かせた。その真骨頂は、冬に咲く赤い笑いの花にある。
やなぎこうじ/1967年、三重県生まれ。2001年小説家デビュー、同年『贋作「坊っちゃん」殺人事件』で朝日新人文学賞受賞。09年『ジョーカー・ゲーム』で吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞。そのほか著書多数。
さたかまこと/1945年、山形県生まれ。評論家。近著は『70人への鎮魂歌』、共著では『お笑い維新劇場』『石橋湛山を語る』など。