判事と検事が弁護人より高い立場を与えられ、判事は裁判の行方を初めから決めており、弁護人が無罪を主張すれば官吏侮辱罪で投獄されかねず、警察は証拠偽造も辞さない――弁護人と被告人がこれほど苛酷な状況に置かれた法廷ミステリがかつてあったでしょうか?
時は明治21年。負け続けの駆け出し代言人(当時の弁護士の呼称)・迫丸孝平が引き受けたのは、大阪は天王寺で起きた質屋一家殺しの被告人の弁護。現場は密室で、犯行が可能だったのは、一家の赤ん坊とともに生き延びた16歳になる親戚の子だけ。この若者が被告人となります。
迫丸と共闘するのは新聞記者・筑波新十郎。自由民権運動に関わり東京を追われた経歴の持ち主です。冒頭からしばらくは、大阪に流れてきた筑波の記者生活と、迫丸の負け続けの代言人ぶりが語られ、それを通して当時の時代状況、市井の風俗や人々が鮮やかに浮かび上がります(もちろん本格ミステリの名手・芦辺氏のこと、ここにも伏線がきっちり張られています)。
事件の調査や被告人との面会などを経て、裁判が始まるのは物語中盤から。ここからは強烈なサスペンスが読者をつかんで離しません。冒頭に記したように、弁護側が置かれた状況はいかなる先行作品よりも苛酷なもの。読みながら、いったいどうやったら勝てるんだ、と首をひねらずにはいられませんでした。法廷ミステリによくあるように法廷で真犯人を指摘しても、判事と警察に握り潰されてしまいそうなのです。
そうした中、思いがけず助けてくれるのが市井の人々。さまざまな人物がさまざまなかたちで弁護側を支援する展開にはわくわくし、胸が熱くなります。
事件を検討する迫丸と筑波はいくつもの疑問点を見出します。当時の日本で「推理すること」はなじみのないものでした。そうした状況で一つ一つ考えた末に、2人は奇想としか言いようのない真相にたどり着く。それが法廷で明かされる場面は圧巻です。この奇想は時代と深く結びついたもの。なるほど、この手があったかと感嘆しました。
芦辺作品の常として、物語を支える資料の読み込みと調査は実に徹底的です。法廷でのやり取り一つとっても描くのにどれほどの苦労があったことか、同業者として畏怖の念を覚えずにはいられません。また、山田風太郎の明治物に倣った、実在の人物を登場させ関連させる趣向が盛り込まれているのもうれしいところです。
本作で弁護人と被告人が直面した状況は不思議の国さながらの不条理さですが、大川原化工機事件や、無罪判決がようやく確定した袴田事件などの冤罪事件を見るにつけ、ここで描かれた出来事は決して架空の、遠い昔のものではないと感じます。まさに今、読まれるべき一冊です。
あしべたく/1958年、大阪府生まれ。90年、『殺人喜劇の13人』で鮎川哲也賞を受賞し、デビュー。2022年、『大鞠家殺人事件』で日本推理作家協会賞および本格ミステリ大賞を受賞。近著『名探偵は誰だ』『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』ほか、著書多数。
おおやませいいちろう/1971年生まれ。『密室蒐集家』で本格ミステリ大賞受賞。著書に『アリバイ崩し承ります』『赤い博物館』など。