父親が散弾銃を持って学校に乗り込もうとしたが…
ただ、実際には、あっさりと引き下がった訳ではなかった。高橋兄弟の父、義治は息子の処分に烈火の如く怒り、学校に乗り込んで猛然と抗議したという。
高橋兄弟の友人の一人が明かす。
「義治さんは当初、自宅にあった散弾銃を持って学校に乗り込もうとしていた。ただ、その頃、高橋家には元警察官の書生のような人がいて、彼が必死に義治さんを止めて、何とか銃を持って行くことだけは思い止まらせたのです」
しかし、父の抗議を以てしても処分は覆らなかった。そして高橋家はこの頃、品川区内にあった豪邸を売却し、住み慣れた地を去っている。
治則はその後、都内にある私立の世田谷学園に編入した。義治は、息子の受け入れ先を探して奔走し、世田谷学園出身の元農相、広川弘禅の関係者による口添えで、編入学が決まったという。
だが、仏教系の世田谷学園の校風は治則にとっては退屈なものだった。世田谷学園は、登下校時に校門の白線で立ち止まって一礼するのが、朝夕の風物詩となっている。禅宗である曹洞宗を教育の基盤に掲げており、禅堂での坐禅も授業に取り入れられていた。
塾高時代は、仲間と千葉の海に繰り出し、磯に入ってアワビやサザエを探したり、葉山の別荘地に遊びに行くなど自由気儘だったが、その生活もガラリと変わった。
治則は、成績上位だったが、編入してきた“異分子”としてイジメにも遭った。ボクシング経験があった治則は人前では決して手を出さなかったが、イジめた相手を自宅に誘い、ボクシングのグローブを付けた打ち合いで、きっちり“お返し”をした。
当時、治則と久々に会った中江は、その変貌ぶりに驚かされたという。