質素なスポーツの祭典だったオリンピックを巨額の利益を生み出すイベントに変えた電通にあって、長年、スポーツ局に君臨した高橋治之氏。そして、弟でかつて背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された、イ・アイ・イーインターナショナル社長の高橋治則氏(享年59)。
若き日の弟・治則は「架空のパーティー券販売」によって、慶応高校を一発退学になってしまう。さらに怒った父親が散弾銃を持ち込んで、学校に乗り込もうとしたことも…。同事件のその後を、ジャーナリストの西﨑伸彦氏の『バブル兄弟 “五輪を喰った兄”高橋治之と“長銀を潰した弟”高橋治則』より一部抜粋してお届けする。(全3回の2回目/最初から読む)
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架空パーティー事件で慶応を「一発退学」
「折角いい高校に入ったのに、あっという間にクビになって可哀想に」
太田は掲示板を見ながらそう思った。だが、励ましの言葉を掛けようにも、この日を境に目蒲線で治則の姿を見かけることはなくなった。
当時、巷ではダンスパーティーが大人気だった。早熟な高校生のなかには企画を立ち上げ、会場を押さえて、女子学生を集めたパーティーを頻繁に開催し、収益をあげている者もいた。塾高生も例外ではなく、慶応ブランドの絶大な影響力で、1000人規模の客が集まることも珍しくはなかったという。
治之も、品川区小山にあった自宅の広い庭を使って100人ほどを集めたパーティーを開催し、成功させていた。その盛況ぶりを目の当たりにしていた治則も仲間とともにパーティーを企画した。ところが、この情報が学校側に漏れ、会場が確保されていない架空パーティーのチケットを売り捌いたとの疑いを掛けられてしまうのだ。
治則の慶応普通部時代からの友人、中江和彦が当時を振り返る。
「授業中に治則君から『悪いけど、あと50枚作ってくれ』と頼まれ、パーティー券を一緒に作った記憶があります。私は一度も行ったことがないので、詳しい内容は知りませんでした。手作りのパーティー券だから内輪のレベルかと思っていたら、かなりの規模だったようです。これが学校だけでなく、税務署にもバレて、一発で退学になったのです」
首謀者は、素行不良で2年生に進級できなかった治之の元クラスメイトだった。ダブって治則と同級生になった彼が主導し、横浜の土建業界の大物を父に持つ資産家の仲間が、豪邸を会場として提供する形で準備を進めていた。しかし、学校側は架空であると断じて、治則を含む3人を退学処分にしたのだ。
治則が、好奇心と遊び心から始めたイベントは、“青春時代の苦い思い出”では済ませられない、多くの犠牲を払う結果を招いた。
後日、治則は中江ら近しい友人には直筆で、謝罪の葉書を出している。
〈世間知らずで、みんなに迷惑をかけてごめん〉
太田は当時の状況について、「高橋(治則)も横浜の土建業界のボスの息子も男気があったから仲間を庇って潔く辞めた。2人は大物だなと言われていた」と振り返る。