「自分はつくづく他力によって生かされてきた――年のせいかそう感じることが増え、以来、人との関わりを見つめ直して書いたのが『世阿弥 最後の花』でした。次に人との思い出を掘り下げて書いたのが前作『憶』。その流れで“人と風土”についても書いてみたいと生まれたのが本作です」
その名も『鎌倉幽世八景』。著者である藤沢周さん自身が長年居を構えている神奈川県鎌倉市を舞台に描かれた連作短編集だ。
主人公は「私」。新潟生まれで、鎌倉には約30年暮らしている。ものを書くことが生業で、能や謡(うたい)の知識が豊富、さらに古都をとりまく歴史にも通じている初老の男である。街ゆく人々の会話に静かに耳を傾け、時に馴染みの飲み屋に立ち寄りながらパンデミックの余波が残る鎌倉の地を、彼は歩く。といっても訪れるのはインバウンドで賑わう人気観光スポットではない。
「屍(かばね)の蔵で、鎌倉、だからなあ……」とは作中の人物の呟きだが、あちこちに処刑場があったというかの地。その血の気配が一層濃い、密やかな裏路地、ひと気のない坂道、薄暗い切通し。源平時代から続く重い気が凝(こご)ってできた闇を一つずつ拾っていくような鎌倉散策に、読者は誘われる。
「もう一つのテーマは、人は“過去”によっても生かされているということです。過去、つまり死者との交流を私なりに描いてみたかった。それも、この鎌倉の地に根ざした死者の魂との」
例えば巻頭作の「扇ガ谷(おうぎがやつ)」で出会うのは、自分のことを父・源頼朝に許婚(いいなずけ)を殺された大姫だと思い込んでいる老女だ。さらに「袖塚」では、バスで乗り合わせた女の子から北条氏に滅ぼされた比企(ひき)一族を彷彿。三が日に入った寿司屋では上総広常(かずさひろつね)斬首の逸話を想起し(「太刀洗」)、罪のない高校生の会話から導かれるのは新田義貞軍に追い詰められた北条高時自害の地「腹切やぐら」といった具合だ。
「鎌倉に引っ越してきたばかりの時、その風情に惹かれてやたらといろいろな場所を歩いて回ったんです。その時、ふと『俺は、昔、ここで、人を殺したことがある……』と思った。勿論そんなこと、あるはずもない。でも、なぜか切実な感慨が胸に迫り上がってきて。のちにそこが首実検のために討ち取られた武将たちの首に化粧を施し並べたという“化粧(けわい)坂”だったと知りました。そんな自分が経験した土地と過去との交わりがもとになっています」
まさしく「私」とは藤沢さん自身でもあり、本作にはエッセイの趣がある。それゆえに重心は低いながら、全体のトーンはどこか軽妙で読みやすい。
「リアルな今(=現世)の鎌倉の中に在る幽世(=あの世)を描きたかったんです。還暦を過ぎた今の自分にこそ見えている世の中の様を、リアルタイムで著しておきたいという思いもありましたね」
昔日の死者たちの面影を宿す老人たちの描写も読みどころだ。そこには、日頃、地元で接している「先輩方」に加え、5年ほど前に亡くなった母親の姿も投影しているという。
「母親が亡くなった時、突如、その体から立ち現れてきた“1人の女性の物語”に身が竦む思いがしました。その関わりを説明するのは難しいのですが――これまで私は、ストーリー展開よりも文章、その精巧さに強く拘ってきました。でも、以来、物語を語り伝えることに関心が移ってきているような気がしているんです」
「私」が現世と幽世とのあわいを歩いているように、藤沢さんもまた、小説と物語とのあわいを、重心低く、颯爽と歩いているようだ。
ふじさわしゅう/1959年、新潟県生まれ。93年作家デビュー。98年『ブエノスアイレス午前零時』で第119回芥川賞受賞。著書多数。来月、神奈川新聞の連載をまとめたエッセイ集『こしかた ゆくすえの ことのは』を刊行予定。