イチロー(鈴木一朗氏)が日本選手として初めて米国野球殿堂に入った。3089安打という圧倒的な通算成績で得票率は99.7%(1人を除いて投票)だった。

 だがプレーした2001~19年の米大リーグは、決してイチローの打撃スタイルが高く評価される時代ではなかった。渡米直後から万人に認められた守備力と違い、打撃では打ちまくることで年々評価を高めた。リーグのトレンドや周囲の評価に影響されず異端を貫く意志と、日々変化して対戦相手を上回る柔軟さの両方を持ち合わせ、最終的に誰もが認める3000安打という数字を残した。

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 昨年12月、マリナーズのスター外野手、フリオ・ロドリゲスがTBS系の番組でイチローから受けたアドバイスについて語っていた。「自分を見失わないこと」。これこそイチローのもっとも際立った資質であり、武器だった。

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「メジャーでは控えの外野手」

 イチローがオリックスで5年連続首位打者となり大リーグ挑戦が現実味を帯びてきた1998年11月、日米野球が開催され、その年66本塁打を放ったサミー・ソーサ(カブス)らオールスター級の選手が来日した。日本の報道陣だけでなく、米国の記者が伝えたのも「イチローはメジャーで通用するか」だった。

 大リーグ選抜を率いたインディアンスのマイク・ハーグローブ監督は、イチローについて「ランナーとしては平均以上だし、ライトでは平均以上の肩を持っている。それでもメジャーでは4人目(控え)の外野手だろう」(ニューヨーク・タイムズ1998年11月20日)と率直に話した。初球から振りにいくアプローチや長打力の不足が物足りなく映ったのだろう。

 1998年の大リーグはパワーが全てを凌駕したシーズンだった。マーク・マグワイア(カージナルス)がソーサと本塁打王を争い、70本のシーズン記録を達成して国民的英雄となった。8月にAP通信の報道で筋肉増強剤アンドロステンジオンの使用が発覚したが、バド・セリグ・コミッショナーが薬物使用を擁護する声明を出し、記録達成を後押しした。マグワイアは薬物使用を認めた最初の現役選手となり「公然の秘密」が「公認」となった。