数でパワーをしのぐ
2000年11月、ポスティング制度でマリナーズがイチローとの交渉権を獲得した。11月10日付のニューヨーク・タイムズは入札球団はマリナーズ、エンゼルス、メッツ、ドジャースの4球団だったと伝えている。日本で7年連続首位打者の実績は驚異的だが、30球団中26球団は獲得に動かなかった。身体サイズが大リーグの平均からかけ離れており、長打が望めそうもないため、得点との相関が高いと重視されるOPS(出塁率+長打率)で高い数値が見込めないと判断されたのだろう。
多くの球団が見抜けなかったのは、圧倒的な単打の量で、長打に匹敵する数値を残せるということだ。イチローは「この細い腕でホームランは打てない。内野手、あわよくば外野手の間を抜いて二塁打、三塁打とできれば」(共同通信2000年12月6日)と抱負を語った。
その言葉通り、安打を重ねた。2001年4月2日のデビュー戦で2安打を放つと、4月22日から5月18日まで23試合連続安打。8月にも21試合連続安打を記録した。終わってみれば、リーグ最多の242安打で首位打者、新人王でMVPだった。
初対戦の投手がほとんどで、打ちにいくより球を見ることが多くなると思われた。しかしイチローの対応はまったく逆だった。初球からバットを振りまくった。初球打ちで記録した安打は全カウント中最多の43本で、初球打ちの打率は4割3分4厘。見るどころか、持ち味の積極性に拍車がかかった。2年目にルーキーシーズンを振り返り「相手がどんな球を持っているか分からないので、打てる球を打てるときに打たないと」(共同通信2002年5月27日)と早打ちの意図を説明した。
積極打法を解き放ったことで、オリックス時代にワンバウンドの球をヒットにした異次元のバットコントロールが大リーグでも生きた。平均を100として120でオールスタークラスと言われるOPS+は126。25本塁打、110打点だったチームメートのマイク・キャメロンを上回った。本塁打はわずか8本でも単打を量産することで、長打率4割5分7厘もリーグ平均を軽々とクリアした。