「体もそうですが頭がそれ以上に固くなっていく」

 対戦相手はデータを基にチームを挙げて対策を練り、配球だけでなく守備位置なども工夫した。だがイチローはそれらを乗り越え、200安打、打率3割、ゴールドグラブ賞という、とてつもなくハードルが高い「イチローらしい成績」を10年間残し続けた。対策を立てられるということは、同じような成績を上げるには、自分が成長を続けなければならないということである。

 大リーグ記録を更新する262安打を放った2004年11月、共同通信のインタビューに「何年もプレーした選手は体もそうですが頭がそれ以上に固くなっていく。自分がそれまでやってきたことを信じたい。それで前に進めなくなる。でも、常に何かを探していないと自分が驚くようなものは見つけられない」と語っている。逆説的な言い方になるが、自分らしくい続けるためには常に変化を厭わなかった。

 ただ、これだけの成績を上げても、独自の打撃スタイルゆえ、理解を得られないことはあった。日米野球でイチローを「メジャーでは4人目の外野手」と評価したハーグローブ監督は、2005年にマリナーズの監督となり、選手の初球打ちを戒めたと報じられた。自身が選手時代にリーグ最多四球を2度記録した典型的な「待ち球」タイプの打者だったこともあるが、当時はリーグ全体に「待ち球」打者を重宝する傾向が強まっていた。三振が増えても「待ち球」打者の方が四球・長打が増えやすく得点につながるという統計があったからだ。

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松井氏「イチローさんにしか分からない打ち方」

 もっとも、イチローが持ち味の積極性を捨て「待ち球」に転じても好結果にはつながらなかっただろう。そこは自分の持ち味を知り、守り続けた。自分を知り、自分を見失わなかったのだ。

 統計で有効性を示せない打撃スタイルには、いつまでたっても疑問が呈された。例えば2011年7月9日付のニューヨーク・タイムズは「イチローは四球にアレルギーがあるようだ」と打席での積極性をネガティブに捉え「しばしば物足りなさを感じてしまう」とまで書いている。10年連続で200安打を記録しても、異端に向けられる視線は変わらなかった。ただこの時期になると、批判的な記事にも「殿堂入りは果たすだろう」とは記されている。

 ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が引退後に語ったことがある。「イチローさんより足が速い選手はいくらでもいる。ミートがうまい選手もいる。でもイチローさんほどヒットを打つ選手はいない。イチローさんにしか分からないヒットの打ち方があるのだと思う。それは僕にも分からない」。誰にも分析できない打撃で、誰もが認める成績を残した先に、殿堂があった。