サラリーマンのように派遣されてくる「死神」

『魔王』とほぼ同じ時期に単行本として出版された『死神の精度』を読んで、私はいま言ったような印象をより確かなものにした。デビューしてからしばらくは長編のジャンルでの執筆が続いた伊坂にとって、『チルドレン』と『死神の精度』は短編作家としての卓越した技量を示すものでもあったのだ(『チルドレン』を作家自身は「短編集のふりをした長編小説」と呼んでいるが、実質的には緊密に関連しあった連作短編集として読める。なお、異なった作品の間に同一のキャラクターが登場し、作品相互の間テキスト性〈インターテクスチユアリテイ〉を構築していくのは、伊坂の得意とする手法であり、後で述べるように『死神の精度』でも使われている)。

 この短編集の主役は、なんと、死神である。これまでも、人の言葉を話す予知能力を持ったカカシ(『オーデュボンの祈り』)とか、正確な体内時計を持っていて時間を秒単位で測れる女(『陽気なギャングが地球を回す』)とか、自分が思ったことをそのまま他人に言わせる超能力を持った男(『魔王』)などが、伊坂ワールドには登場してきたのだから、驚くにはあたらない。しかし、それにしても、死神が死すべき人間の前に現れて、人間と接触し……という設定は、それだけではあまりにも古風だが、さすが伊坂幸太郎、そこからメルヘン的であると同時に恐ろしくリアルでもある、現代の寓話を見事に作り出した。

 ここでは死神は、サラリーマンか何かのように、「調査部」員として、人間の世界に派遣されてくる。そして死すべきと定められた人間を一週間にわたって観察し、死を「可」としてよいか、それとも(こちらは稀だが)「見送り」とするか、報告し、「可」とした場合は、8日目の不可避の死を見届けるというのが、彼の仕事なのである。面白いことに、この死神は決して全知全能ではなく、どういう基準によってどういう方針で死すべき人間が選ばれているのかは、彼にはわからないし、人間の世界に関しても彼にはわからないことだらけだ。

ADVERTISEMENT

©文藝春秋

『死神の精度』とトルストイ作品の共通点

 その結果、生じるのは「異化」効果である。異化というのはロシア・フォルマリストたちが言い始めて普及した文芸用語だが、要するに、非日常的な視点からものを見ることによって、普通のものを見慣れない、奇妙なものにしてしまうという手法である。すぐれた文学はつねに異化効果をもたらすものだともいえるが、特にこの手法を得意とした作家に、ロシアの文豪、トルストイがいる。たとえば彼の中編『ホルストメール』は、なんと馬の視点から語られていて、本来自分のものであるはずのない土地や動物を私有する人間たちの社会の約束事が「異化」され、人間というものはなんてばかげたことをする生き物かという驚きが読者に突きつけられる。『死神の精度』の死神も、全知ではない性格づけのおかげで、人間のやることなすことにいちいち不思議がり、その結果、似たような異化をもたらしているといえるだろう。

 たとえば、死神は言う。「人間というのは実に疑り深い。自分だけ馬鹿を見ることを非常に恐れていて、そのくせ騙されやすく、ほとほと救いようがない、と私はいつも思う」。「人間は不思議なことに、金に執着する。音楽のほうがよほど貴重であるにもかかわらず、金のためであれば、たいがいのことはやってのける」。ちなみに、二十世紀ロシア文学最高の小説の一つ、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』は、モスクワに現れた悪魔とその一味が町中を大混乱に陥れるという物語だが、そこでも悪魔は、人間はいつの時代だってお金を愛してきた、要するにあさはかなのだ、とうそぶいている。

 可笑(おか)しいのは、伊坂幸太郎の死神は、人間の言葉にも習熟しておらず、よく理解できない概念が多く、ごく普通の単語の意味を確認しようとしては、人間たちに変なやつだと思われる。彼にとって「雪男」は「雨男」と似たようなものであり、「甘く見てると意外に、吹雪、長引くかもしれねえよな」と言った男に真顔で「甘い? 吹雪に味があるんですか?」と聞き返す。そして、「旅行」とはどういう行動かとか、ステーキについて「死んだ牛はうまいか」「どうして、人間は、人を殺すんだ?」といった質問を連発し、ふだん人間たちが考えもしない生の根源に関わるような、その種のナイーヴな質問を通じて、逆に作品で描かれる人間たちやその社会の「リアルさ」が浮き彫りになるのである。

 伊坂幸太郎の死神は、徹底的にクールだ。彼は死すべき人間の調査はするが、人間の死そのものには興味がない、と繰り返しいう。だから、死を直前に控えた人間に対して特別なサービスもしない。この死神、仕事の対象に応じてそのつど姿を変えて現れるのだが、20代の好青年であることが多く、カッコいいのである。しかし、それと同時に、どことなく可笑しみもあり(ナイーヴさゆえに、人間によく笑われるわけだし)、親しみももてる。なにしろ仕事をするときに晴れたことがない、という「雨男」で、無類の音楽(彼の言い方を借りれば「ミュージック」)好きときている。CDショップの試聴機に異様に熱心に聞き入っている男がいたら、ひょっとしたらこの死神かもしれないのだ。

 だから、人間ばなれした非情な存在のようでいて、結局はどことなく人間くさく、それがなんとも言えない魅力になっているのではないだろうか。彼は「人間が作ったもので一番素晴らしいのはミュージックで、もっとも醜いのは、渋滞だ」という偏見と独断に満ちた警句を好んで口にし、雪景色を見て「これは美しいな」と思わず声に出し、「人間というのは、眩しい時と笑う時に、似た表情になるんだな」と学んで面白がる。なかなかいい死神ではないか!