西山朋佳女流三冠が挑戦した棋士編入試験は第5局が1月22日に関西将棋会館で行われ、結果は試験官を務めた柵木幹太四段が勝利した。史上初の女性棋士まであと1勝に迫ったものの、最後はわずかに及ばなかったわけだが、ここで編入試験について私見を述べたい。

 棋士にとって「負けていい対局」は存在しない。ただ現行の制度では、受験者と試験官に対してかかっているものが違い過ぎる。受験者が得られるリターンは言うまでもない。対して試験官のそれはというと、ないに等しいと思う。もちろん対局料はあるが、仄聞した限りでは公式戦の対局料と比較しても多いわけではない。

西山朋佳女流三冠

現行の制度は十全ではない

 筆者が第1局について書いた記事でも触れたが、試験官にかかっているのはプライドだけなのである。もちろん米長哲学の思想は素晴らしいと思うし、また棋士が敗退行為をするとも考えてはいないが、試験官の善意と、その善意を将棋ファンが信じていることのみが保証となっている状況で、相手の人生を懸ける戦いを行わせる(しかも立場的にはもっとも弱いであろう新四段に)のを続けていいのだろうかと考える。

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 ではどうするかというと、まず考えられるのは試験の舞台を公式戦とすることである。例えば、受験の申請があった時点で、受験者をプロ棋士と同様に扱い、そこから始まる新期の棋戦に参加させるのだ。参加した棋戦すべてで敗退する前に規定の成績を上げれば合格とする。公式戦ならば、試験官にとって懸かっているものが段違いとなる。あるいは試験を受ける過程での公式戦で上げた成績で十分という見方もあるかもしれないが、その辺りは一考の余地があるだろう。

編入試験第5局が行われた関西将棋会館

 また、懸かっているのがプライドのみであるとしても、試験官に選ぶのは受験資格を得る過程で受験者に公式戦で敗北した棋士からとするというのも考えられる(公式戦敗者が試験官を務めたのは、瀬川晶司現六段のプロ試験における久保利明九段の例がある)。同一の相手を二度負かせば、まぐれではないという理屈だ。

 制度のあり方については、本気の討論とまではいかなくとも、棋士や関係者の間で話題になりやすい。「いっそのこと、現役棋士全員でくじを引いて、当たった人間を」という意見を聞いたこともある。これはさすがに冗談が過ぎるが、現行の制度が十全ではないというのは、ある程度の共通認識であると思う。