いまだに“犯人扱い”する検事総長に…

「まあ、検事総長もきっとそのお立場があるんでしょう! 検事総長ならメンツもあるしそう言うだろうと思ってた。織り込み済みよ」

 見透かしていたように語ると、自身の体験を語り出した。

「58年前の事件でしょ? 検事も裁判官も当事者じゃないからね。私はロボットと闘っている気がしたわ。役所はそういうところ。

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 私も税務署に勤めていたので役所と言うのはどういうところかよくわかる。レッドパージ(連合国占領下の1950年に共産党員とシンパが公職追放され、1万人を超える人が失職した事件)とか汚職事件があったのよ。

 そこで『誰かをいけにえに出さなくてはいけない』となると、必ず遠くから来ている人が差し出された。それを見ていたからね。

 清水の警察にすれば、浜北から来た巌なんか流れ者ということでしょう。まあ、役所のことを知らなかったらもっとカッカしたかな」

昭和40年ごろに撮影された袴田巌さん

 秀子さんのこうした態度は一貫したものである。かつて、袴田さんの無罪を確信しながら、多数決で押し切られて死刑判決文を書いた一審の主任裁判官が、テレビで「あの判決は過ちであった」と発言。その後、その裁判官・熊本典道元判事が直接謝罪したいと訪ねて来たときのことだ。

 実弟を死刑にした裁判官ということで、酷く罵倒されることも覚悟で出向いて来た熊本元判事に対し、秀子さんは快活に迎え入れ、よく(無罪だと)話してくれましたと慰労さえしたのである。

「実際、うちの家族も『こいつめ、死刑にしやがって』じゃなくて『よく話してくれた』とありがたく思ってましたよ。熊本さんには熊本さんの事情があったんでしょう。もう済んだことをグダグダ言っても始まらんでね。大事なのはこれからだよ」(秀子さん)