古墳のように「そこにある」と分かればいいのだが…

 開発バブルに沸いた昭和の時代、文化財保護法の間隙を突く形で強行突破をする開発事業者もいただろう。たくさんの遺跡が語られることなく消失する中で、そのツケともいえる見直しの平成期を経て、「下野谷遺跡」はリボーンした。都内にあって、これほどまでに大きな縄文遺跡が、人知れずひっそりと残り続ける。まるでそれは、昼夜開発を繰り返す東京に向けた静かなる遺訓のようでもある。小さな背中が、とてつもなく大きく見えるように、何の変哲もない“野っ原”が、大きな意味を持つ。だが、結局はそれさえもイマジン……。オール・ザ・ピーポー、リビング・ライフ・イン・ピース。

 せめて古墳のように、「そこにある」と分かればいいのだが、縄文遺跡は土の中にしまわれている。そのため、昨今はVRをはじめとしたテクノロジーを利用するなどして、新しい遺跡の見せ方も広まりつつある。西東京市も、縄文時代にタイムスリップできる「VR下野谷縄文ミュージアム」なる公式アプリを作っているのだが、VR先でもイマジンなのだ。縄文遺跡は、かくも難しい。

「遮光器土偶」がライトアップされる青森県の木造駅

 遺跡が発掘された別の自治体では、こんな取り組みもある。世にも奇妙な遮光器土偶が駅舎にめり込むJR木造(きづくり)駅(青森県つがる市)はそのひとつだ。市内に、遮光器土偶が出土された亀ヶ岡遺跡があるとあって、町全体が遮光器土偶を推している。駅舎は、故・竹下登総理大臣(当時)発案のもと、各市町村に1億円が配られた、通称・ふるさと創生事業によって建てられた筋金入りの土偶だ。夜になると遮光器土偶はライトアップされ、違う世界に連れていかれるような妖しさを演出する。

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JR木造駅。タクシーの大きさと比較しても遮光器土偶の大きさが分かるだろう(筆者撮影)

 やはり目に見えるものがあると楽しい。大きな土偶を作ってほしいと言っているわけではない。縄文遺跡は目に映りづらいからこそ、目視できる分かりやすいものがなければ観光化は難しい。「下野谷遺跡」を訪れると、それを痛感する。だが、都内に現存する極めて稀な巨大縄文集落跡だ。5000年のときを経て、今にその姿を残そうとした地域住民と西東京市(保谷市)の思いは、せめて見えるようにしてもいいのではないか。「下野谷遺跡」は、もっと評価されていいのだから。

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