この目的に合致するよう説明責任を果たすということでよいのか? それは首相自身が書いた“正義の実現”にも合致するはずだ。石破首相の背後に控える官僚がメモを渡そうとしたが、石破首相はメモを受け取らず答弁に立った。
「この情報公開法1条、これを私今回、もう一度よく見直してみました。これが非常に大事であるということは、私は福田(康夫)内閣で総理から厳しく教わったことでございます。その中に『国民にちゃんと説明しましょうね』ということには当然、赤木雅子さん、そして今はこの世におられない赤木俊夫さんも含むのは確かなことでございます」
これは踏み込んだ発言だ。雅子さんはメモを取った。石破首相の似顔絵も描いた。眼鏡を忘れてきたのであまりうまく描けなかったが。条文を事前に見直すほど真剣に考え、自分たち夫婦にきちんと説明するというのだから、これは黒塗りのない形で全面開示に踏み切ってくれるに違いないと確信した。
最後に川内議員は、政府の責任者として俊夫さんの墓参りをすべきではないかと迫った。すると、
「私自身、個人としては行きたいという思いは強く持っております」
続けて「行政の長として行くのは、また違う意味を持つ」とことわりながら、重ねて明言した。
「個人としては本当にお墓参りに行きたいと思っております」
これは現時点で首相ができるギリギリの表現だろう。思えば俊夫さんが亡くなった後、当時の麻生財務大臣が墓参の意向を示しながら、それを同期の職員が握りつぶしたことがあった。あの時の絶望とは雲泥の差がある。