ホテルの清掃員をしながら夜間高校に通う三代川涼子(みよかわすずこ)は、失職した父親と鬱病の母親とともに、古いアパートで生活保護を受けて暮らしている。同級生の誘いで高級クラブを訪れた涼子は、学園ミステリー作家の南馬(なんま)潤一郎に出逢い、その言動に興味を抱く。翌朝、二日酔いで目覚めた涼子はポケットの名刺と現金に気付き、思いがけない事態に直面する。母親が父親を刺殺し、部屋で平然とテレビを見ていたのだ。
女好きの中年私立探偵が活躍する軽ハードボイルド〈柚木草平シリーズ〉をはじめとして、多彩なヒロインたちの登場するミステリーで人気を博している樋口有介の最新刊『亀と観覧車』は、少女と小説家をめぐるビターな物語だ。直木賞候補になった『風少女』の被害者・川村麗子、旧友を殺した犯人を追う『刺青(タトゥー)白書』の三浦鈴女、柚木草平の娘・加奈子(『片思いレシピ』の主役)など、樋口作品には印象的な少女が少なくない。涼子もその一人と言えるだろう。
あからさまに著者を投影した南馬のキャラクターは、本書の強力なフックになっている。秩父の廃村で純文学の投稿を続け、自棄になって書いた「ノーテンキな学園ミステリー」で三十八歳でデビューしたエピソードは、まさに著者の来歴そのものだ。「初出版はもう三十年近くも前」「父親が刑事でカノジョの父親がヤクザ」という南馬のデビュー作が『ぼくと、ぼくらの夏』を踏まえていることは疑いようもない。
語弊を避けるために付言すると、著者は社会派サスペンスの名手でもある。連続バラバラ殺人の動機を探る『ピース』、社会福祉が削減された近未来の日本で老人たちが変死する『金魚鉢の夏』などはその好例だが、涼子の家族――インターネットで社会批判に勤しむ父親、パチンコにしか興味がない母親、蔑(ないがし)ろにされる娘の姿にも時代感覚が窺える。現代的なシチュエーションを背景として、抑制されたエロティシズムを纏った少女像を描き、作品世界に自己を投げ込むことで、半自伝的な純文学とエンタテインメントを融合させた野心作なのである。台詞の読点を排し、空白を多用したユニークな文体も意欲の表れと見るべきだろう。
涼子が拾ったクサガメの話を受けて、南馬は「亀にも人間にも それぞれに生きる場所がある」「人生とは宿命という牢獄につながれた 囚人のようなものだ」「涼子くんならいくらでも広い海に出られるよ」と説く。自分なりの広い海を求めた涼子が迎える結末は、実際に読んで確認していただきたい。
ひぐちゆうすけ/1950年群馬県生まれ。70年代に世界各地を放浪し、多彩な職業を経て、88年『ぼくと、ぼくらの夏』で第6回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞。〈柚木草平シリーズ〉〈風町サエシリーズ〉や、『船宿たき川捕物暦』など著書多数。
ふくいけんた/1972年京都府生まれ。書評家。『本格ミステリ鑑賞術』で本格ミステリ大賞を受賞。漫画レビューを雑誌連載中。