婚約後、急に態度を変えたプリンスに……

──久しぶりに皇室をテーマにされた『李王家(りおうけ)の縁談』が2021年に刊行されました。

 梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)妃が、娘の方子(まさこ)女王を、李王家の李垠(イウン)王の元へ嫁がせる物語です。私からこの縁談について書きたいと編集者に言った憶えがあります。方子女王は“泣く泣く嫁いだ”という視点で映像化もされていて、そのような見方が優勢だったのですが、執筆する頃には新たな資料も見つかっていました。どうやら、伊都子妃が「どうにかして娘を李王家に嫁がせたい」と言っていたようで。通説とされていた政略結婚ではなく、伊都子妃は自ら望んで娘を韓国の皇太子に嫁がせたのだ、と考えたのです。『梨本宮伊都子妃の日記』に、どこへ行った、何を食べた、といった日常の様子が克明に書かれているのも面白くて。当時の宮妃がどのように暮らしていたかがよくわかり、執筆の大いなる助けになりました。

娘の縁談に奔走した梨本宮伊都子妃

──『李王家』刊行直前に、『皇后は闘うことにした』冒頭に収録されている「綸言汗(りんげんあせ)の如し」を発表されました。

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 スピンオフ短篇を、という依頼を受けて書いたものです。

 もともと香淳(こうじゆん)皇后の兄である朝融(あさあきら)王に関心を持っていたんです。香淳皇后は、後に昭和天皇となる裕仁(ひろひと)親王との婚約が内定していたものの、「色覚異常の家系である」と元老・山縣有朋(やまがたありとも)に婚約辞退を迫られた。いわゆる「宮中某重大事件」ですね。香淳皇后の父である久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王は少し変わった人で、事件の際「もし破談となるなら、娘を殺して私も死ぬ」とまで言ったそうです。しかし、彼の長男である朝融王がある女性と婚約した後、急に気が変わって「あの女と結婚するのは嫌だ」と破談を望んだときには「それなら仕方ない」とでも言うような、全く異なる態度を取った。この出来事の面白さをどうにかして伝えられないかと、事実を積み上げながら描いていきました。

──全5作収録されている『皇后は闘うことにした』の中でも、私の一押しの一篇です。男性が最も好みそうな作品だと感じました。見初めた相手が嫌になってしまったけれど、それでも素敵な人だったなと思い返す……という心の動きは、今の読者も共感しそうです。

 この破談には後日談があって、そこまで書けばよかったな……という後悔も実はあります。昔は、皇族や華族のお姫様がテレビや雑誌によく出ていました。破談となった酒井菊子(さかいきくこ)さんも、後年マナー評論家としてテレビで活躍されていましたし、お姫様がアイドルだった時代があったのです。