複雑な家族関係にある女性の心理を描きたかった
──2作目は「徳川慶喜家の嫁」。皇族ではなく華族ですが、やんごとなき方々であることは間違いありませんね。
林 徳川慶喜については『正妻 慶喜と美賀子』という作品を書いているので得意分野です。この“徳川慶喜家の嫁”とは、有栖川宮家のお姫様である實枝子妃のこと。夫の徳川慶久を早くに亡くすのですが、この一家について、長く疑問に感じていたのが、次女・喜久子様と三女・喜佐子様の嫁ぎ先でした。姉は高松宮家に嫁いで宮妃となり、妹は越後の元藩主、榊原家の当主に嫁ぎます。姉妹の遇され方の違いを不思議に思い、調べるうちに、三女は側室の子どもであるという話に触れました。皇族としての誇りを持つ喜久子妃の母親は、夫の遺した血のつながらない娘をどう育てていったのか……と考えました。複雑な家族関係の中にある女性の心理を描きたいと思ったのです。
──そして表題作「皇后は闘うことにした」。タイトルもインパクトがありますね。
林 宮島未奈さん『成瀬は天下を取りにいく』がとても売れているのに倣い、攻めた題が良いかなと思って付けました(笑)。
大正時代は15年足らずと短い期間ですが、文化的な魅力に溢れた時代だと思います。大正4年に生まれ101歳で亡くなった私の母も、一番楽しくて幸せな時代だったと言っていましたね。雑誌「赤い鳥」が創刊されたり、童謡がたくさん生まれたり、初めて子どもが尊重された時代だった、と。大きく世が変わりつつある中にあって、貞明皇后は身体の弱かった大正天皇を懸命に支えました。一夫一婦制が世界の常識となり、大正天皇も生涯側室を持っていません。その分、貞明皇后には「皇太子を産まなければならない」というプレッシャーが大きくのしかかったでしょう。それでも四人の皇子をお産みになります。
一方で、貞明皇后はご家族の問題にも直面されます。皇后は幼少期に高円寺の農家に預けられ、愛情をたっぷり受けて過ごされた背景を持ちますが、皇室にお入りになると、家族の愛情を求めるのが難しい現実が立ちはだかります。夫である大正天皇の愛情不足と、自らの子と会うことも難しい生活に悩みながら、ご自身で道を切り開いていかれた。大正時代は、強い女性の力が働いていた時代でもあったのです。