昭和初めの華やかな時代を描いて
──林真理子ファンとしては、『ミカドの淑女』の主人公である下田歌子が登場するのも嬉しかったです。
林 彼女は、大正天皇の后候補を決めるのにも深く関わっているのです。貞明皇后が華族女学校(現在の学習院女子中等科・高等科)に通われていた際に学校へ出入りし、大正天皇の后にふさわしい女性を探した人物でもありました。下田歌子は現在の実践女子学園の創設者で、学内では神のような存在として扱われているそうです。『ミカドの淑女』ではスキャンダラスに書いて卒業生から少々抗議をいただいたので、今作では少し良い役で出さなければ、という気持ちもありました。
──短篇集の中で格別な思いのある作品はありますか。
林 最後に収録されている「母より」は、特に思い入れがありますね。貞明皇后の第二皇子である秩父宮雍仁親王が登場し、「皇后は闘うことにした」にもつながる一作です。雍仁親王に嫁いだ勢津子妃は、外交官の父・松平恒雄(会津藩主・松平容保の六男)を持ち、海外でのびやかに生まれ育ちます。当時珍しかった、英語の堪能な帰国子女で、お二人の出会いも、当時勢津子様がお住まいだったワシントンでした。そして、裕仁親王を除く3人の皇子の結婚相手選びには、貞明皇后が深く関わられ、最初に自分でお選びになったのが勢津子妃なのです。しかし、日本の上流社会とは全く異なる文化で育った方が皇室にお入りになると、想像を絶する苦労があるのです。ご婚姻後は子を生すことが叶わず、結核に罹った晩年の秩父宮様を御殿場で看病されます。どれほどお辛かったことか。勢津子妃は今ではあまり知られておらず、残念だなという思いがありました。短篇集の巻末の「あとがき」でも書きましたが、妃のすばらしさを今の人に伝えられたらという気持ちを込めて執筆しました。
また、第三皇子である高松宮宣仁親王は、「徳川慶喜家の嫁」の次女・喜久子様と結婚します。婚姻後すぐ、昭和天皇の名代として、妃を伴って欧米を周遊されています。14ヶ月にもわたって各国を回る、華やかなことこの上ないツアー。娘の不在を守る実枝子妃の寂しさをまとったお姿も「徳川慶喜家の嫁」に描きましたが、昭和の初めの、非常に良い時代を象徴する出来事だったと思います。
