「できる限り、アイドルに時間を費やしたい」1時間しか寝ないで芸能と学業を両立したことも…
――アイドル活動と大学生活の両立で、苦労もあったのではないでしょうか?
星野 意外となくて、大学は1~2年生で必要な単位をすべて取っていたし、3~4年生はゼミで通う程度でした。特に、アイドルになってからは「できる限り、アイドルに時間を費やしたい」と思って、頑張って勉強したんです。でも、卒論提出までの1ヶ月間はしんどかったですね。
ゼミのある日は自宅から大学まで片道2時間かけて通い、15~16時ごろにスタートするレッスンも穴をあけたくなくて、卒論は他のゼミ仲間との共同研究だったので「ゴメン!」と言って、大学を飛び出していました。毎日の睡眠時間は1時間ほどで、レッスンやライブ本番のあとは自宅でせこせこと卒論を書き、留年もせずに卒業するという親との約束を果たしました。
――無事に大学を卒業して、研究生からグループアイドルのメンバーに昇格したんですね。
星野 研究生のときは昇格のチャンスをことごとく逃して、ようやく正規グループとしてデビューできました。でも、手放しで喜んでいたわけではなかったです。
研究生を2グループに分けてのデビューとなり、ファンの方から「人気のない方のグループに入ったね」と言われたのが悔しくて「絶対に売れてやる」と意気込んでいて。リーダーを任されたので、メンバーを鼓舞しながら休日返上で体力を付けるために走り込んだり、まさに青春でした。
「中央大学を出てアイドルを続けるなんて、どういう神経しているんだ」
――いわば、企業に就職することなく、アイドルを続ける選択肢をえらんで。周囲からはどんな反応があったんでしょう?
星野 就活の時期、弟には「中央大学を出てライブアイドルを続けるなんて、どういう神経しているんだ」と言われたし、ゼミの先生からは「企業を紹介するから、就職試験を受けなさい」と言われました。
大学の友人にも「いいところに就職できるんだから」と説得されて。ライブを見に来てくれた友人は「人生かけてやっているんだね」と納得してくれたんですけど、賛成していた子はほとんどいなかったです。
両親も大反対で「アイドルを今すぐ辞めなさい」と言われたんです。毎日のように電話がかかってきて、当時はメジャーデビューも決まっていなかったし、将来が不安定だから「アイドルを続けるのは許さない」とまで言われたんですけど、親心を受け入れながらも「どうしても続けたいから、私は死んだと思ってほしい」と返しました。
――当時はなぜ、それほどまでかたくなにアイドルを続けようと思ったんですか?
星野 絶対に「売れてやる!」という思いに、迷いがなかったからですね。でも、お金にこだわっていたわけではないんです。やりたいことを実現できる人生は貴重だし、チャンスをいただいている以上は、周囲の気持ちも無駄にしたくなかったので。アイドルとしての活動で心が満たされていたし、一般企業に就職したら「後悔する」とも感じていたので、強引に続けました。