「これ以上やると歩けなくなるよ」椎間板ヘルニアが悪化してアイドル卒業
――ライブアイドルで稼ぐのは“難しい”とも聞きます。専業となってから、収入面はいかがでしたか?
星野 大学卒業後は親からの援助もなくなり、当初はずっと、もやしばかり食べていました(苦笑)。専業になってから昇格するまでの期間は空いていて、ステージを見に来てくれるお客さんも増えず、生活はカツカツで所属事務所のスタッフさんにも支えられていたんです。
大学時代から暮らしていたアパートがレッスン場に近い好立地で、お金もないから引っ越すこともできず、家賃8万円すらも稼ぐのに必死で。じつは、出張で東京へ来た父がこっそりお小遣いをくれたときもあったんですけど、途中からは「自立すると宣言したし、もう大丈夫」と言って、自分から断りました。
――アルバイトをかけ持つアイドルの方もいますが、当時の星野さんは?
星野 しようとは思ったんですけど、しなかったですね。アルバイトするぐらいなら、アイドルのために時間を使いたくて。なんとなく稼いで、生活できる状況を作るのも嫌でした。
――ただ、それほど情熱をかけていたアイドルを、2017年2月に卒業しました。
星野 ずっと抱えていた椎間板ヘルニアが悪化して、病院の先生からドクターストップがかかってしまったんです。診察で「これ以上やると歩けなくなるよ」と言われて、ダンスはもちろんできなくなるし、ずっとアイドルを続けようと思っていたのでショックでした。
でも、卒業のタイミングかなとも思ったんです。当時のグループでは、初期メンバーとして唯一残っていたのが私で、自分の存在が「グループの成長を止めている」とも感じていたし、迷いなく決断できました。
「末期だから、まずいですよ」うつ病が発覚して芸能界引退
――その後、アイドルグループ在籍末期から続けた男女ヴォーカルユニットの活動は継続したものの、2018年7月には芸能界を引退します。
星野 27歳でした。当時は理由を公表していなかったんですけど、うつ病だったんです。
アイドル卒業時と同じくドクターストップで、毎日のライブ配信を見ていた母からふと「日に日にやせていっているから、心療内科に行きなさい」と連絡が来たんです。診察を受けた先生からは「末期だから、まずいですよ」と言われました。
――自覚はなかったんですか?
星野 振り返ると、おかしかったとは思います。自宅を出る前に涙が止まらず、身体が震えて、必ず吐いていたんです。でも、当時は日常的になっていたので、感覚が麻痺していました。病院の先生に「追い込みすぎ」と言われて、ユニットでコンビを組んだアーティストの大先輩に追いつこうとして、今思えばたしかにがむしゃらだったんです。
同世代の女の子と励まし合える環境からの変化もあり、誰にも相談できずに「早く追いつかないと」とプレッシャーを抱えながら、自宅と仕事場を往復する毎日を過ごしていて、知らぬ間にガタが来ていたんだと思います。
――最後のステージは、芸能界引退ライブとなりました。
星野 うつ病の診断を受けたのは2018年1月で、病院の先生には「すぐ辞めないと、ダメですよ」と言われました。でも、「ずっと歌い続ける」とファンの方々へ伝えていたのに、突然「辞めます」となったら気持ちを消化しきれないだろうと思い、病院の先生には「誕生日を迎える7月まではやります」と言い切って、半年かけてファンの方々にも心情を打ち明けて「またね」と言って、ステージを降りました。
写真=三宅史郎/文藝春秋

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