――この作品は深刻なシーンが多いですが暴力は出てこない。少なくとも直接殴ったり蹴ったりがないのがある種の救いと言うか、家族愛と言えるのかもしれませんが。

藤野 それを愛情っていう感覚は僕にはなくて、一番近いイメージはナチス・ドイツに関する「悪の凡庸さ」という言葉ですね。

 〔ナチスの迫害からアメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレントの言葉。ホロコーストは悪魔のような人間ではなく、平凡な人間が思考や判断を止めて命令に盲従することにより行われたと指摘し、「悪の凡庸さ」と呼んだ。〕

藤野 虐殺を判断した人たちも、実はそんな悪の権化みたいな人間ではなかった。僕はそっちを連想しちゃうんですよ。目に見えるような暴力はなかったけれども、姉の扱われ方には暴力に近いものを感じます。それは軽視すべきことじゃないと思うんです。

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「どうすればよかったか?」に込めた想い

――「どうすればよかったか?」というタイトル。内容をうまく表しているし、観る人を引き付ける力があると思います。このタイトルは監督自身が考えたんですか?

藤野 そうですね。最初は仮に「姉が統合失調症を発症して考えたこと」としたんですけど長すぎるんで。直さなきゃと思いながら編集している時、頭にあったのがあの言葉でした。最初に“問い”を作っておいた方が、観る人がその問いについて考えながら観てくれるかなと思って、完成する5日前くらいに決めました。

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――監督自身、「どうすればよかったか?」という問いをずっと抱えていたんですか?

藤野 もっと早く病院に連れていくべきだってことは当たり前ですよね。でも両親はそう判断しなかった。たとえ僕が一人で連れていっても、両親が退院させてしまったでしょう。姉は父のことを尊敬していたので、父から言われれば入院を受け入れると思った。それが25年もかかってしまって、「じゃあ、どうすればよかったんだろう?」と考えています。