遊廓・吉原には、いったん遊女を買うとその妓楼のほかの遊女を買うことはできないという独自のルールがあった。これを破った男性客はどうなったのか。作家・永井義男さんの著書『図説 吉原事典』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
女が女を責め、時には命を奪うことも
お茶をひく状態(客がなく暇でいること)が続いている遊女、仮病を使って怠けていると思われた遊女、上客の機嫌をそこねて逃がしてしまった遊女、さらには楼主や遣手の言いつけを守らず不平不満を漏らす遊女などは折檻(せっかん)を受けた。
折檻をするのは楼主の女房や遣手である。女が女を責めたといえよう。
ただし、妓楼にとって遊女は商品である。顔や体を傷つけ、商品価値をさげるような折檻はまれで、遊女に辱めをあたえる処罰が多かった。
だが、楼主や女房、遣手の人柄に拠るところも大きい。『世事見聞録』(文化13年)は、折檻のすさまじさをこう記している――。
鬼の如き形勢にて打擲(ちょうちゃく)するなり。その上にも尋常に参らざる時は、その過怠(かたい)としてあるいは数日食を断ち、雪隠(せっちん)そのほか不浄もの掃除を致させ、または丸裸になして縛り、水を浴びせるなり。水湿(しめ)る時は苧縄(おなわ)縮みて苦しみ泣き叫ぶなり。折々責め殺す事あるなり。
殴りつけるほか、絶食や便所掃除などの罰をあたえた。真っ裸にして苧縄(麻縄)で縛り、水を浴びせると、水で湿った苧縄が収縮して体をキリキリと締め付け、その苦痛に泣き叫ぶ。
時には、折檻が過ぎて殺してしまうこともあった。
タブーを犯した遊女は「つりつり」
心中未遂や逃亡をこころみた場合の折檻は苛烈だった。
『世事見聞録』は、こう記している――。
この時の仕置は別して強勢なる事にて、あるいは竹箆(たけべら)にて絶え入るまでに打ち擲(たた)き、または丸裸になし、口には轡(くつわ)のごとく手拭いを食(は)ませ、支体を四つ手に縛り上げ、梁(はり)へ釣り揚げ打つ事なり。これをつりつりと唱(とな)うるなり。